[ログイン] 便利につかおう![新規会員登録] [パスワードを忘れた方へ]
掲載されているスポットは営業時間の変更や休業となる場合があります。イベントについては延期や中止となっている場合がありますのでご注意ください。
  • スポット情報へ
  • 090-4830-7204

小さな国語塾のつぶやき

受験に「運」はあるか?

今日の朝日新聞のbeの10面に興味深い記事があった。「自分は運がいいほうだと思う?」「運がなくても幸せ者に」というタイトル、「自分は運がいいほうだと思う?」に対して「はい」が71パーセントだとか・・・。そもそも「運の良さ」は絶対的なものではなく、あくまでも個人の基準、人から見て「不幸そう」な人でも本人が「自分は運がいい」と思えば「運がいい」わけで逆もしかり。ただ「自分は運がいいほうだと思う」に対して71パーセントが「はい」という回答は平和な日本らしい数字だなあとなんとなく嬉しくなる。さて、「運をよくする方法」ってあるか?言うまでもなく、すべての人に当てはまる絶対的な方法はない!もしもすべての人が必ず運がよくなる、絶対的な方法があるならば世の中にこんなにも「運をよくする」ためのノウハウ本があふれるはずがない。なーんて言いながらも、受験の神様である和田秀樹氏の新刊「『いいこと』」を引き寄せる法則」(2018.1.18初版発行)が気になっている自分って・・・と少々苦笑い。アマゾンの商品説明には「自分は運がいい人間だと思えると、自分の人生に好循環をつくれるようになれます。なぜなら、自分は運がいい人間だと思えると、希望がわき、自信がもて、より積極的になれる。自分を肯定できる人生観を持てるからです。」(アマゾンHPより引用)とある。さて、受験に「運」は存在するか?個人的には「存在する」と思う。知人や教え子の中には「偶然にも前日に勉強したことが出ました!」「絶対無理だと思ってたのに第一希望だけ受かりました」ということがチラホラと起こるのだ。逆に絶対に大丈夫だと言われてたにもかかわらず残念な結果になったというケースも。これらを「運」と言わずして何をもって「運」というのか?と思うことがある・・・。ではどうすれば「運」を味方にできるか?神頼み?!もちろんそれもあるだろうが、究極は「自分を信じて最後まで目の前のことを実直にできるかどうか」にかかっているような気がする。自分を信じるためのツールとして神頼みもありか。神頼みをした、このお守りがあるから・・・だから「自分は大丈夫」と落ち着いて本番を迎えることができ、それが結果に結びつくならば素晴らしい。何が言いたいか?最後の最後まで「あきらめることなく実直に目の前のやるべきことをしっかりとやる」ことこそが「運」を引き寄せる一番の近道だということ。自戒を込めて・・・。

2018/02/17 21:50

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

今日から一般入試

いよいよ今日から私立高校の一般入試が始まる十勝地方。ところ変われば・・・で、十勝地方はある意味特殊な入試事情だなあとつくづく感じる。北海道の私立はA、B日程があるのだが十勝地方の私立はすべてA日程、つまりは地元志向の場合1校のみの受験となる。しかも発表が3月中旬なので公立高校と併願の場合は自動的に公立高校を受験することになる。かれこれ〇十年前に関西地方で高校入試を経験した時は1月に私立校受験、すぐに発表があって私立の合否によって公立高校を出願していたのだが・・・。今は公立校へ願書を出した後に私立高校の試験になっているようだけれど、公立高校受験の前に合否の発表があるため私立高校が合格した場合は公立校は受けないというケースも少なからずあるようだ。でも北海道の十勝地方では「私立高校の校風が好きだから、特色があるから行きたい」というタイプは最初から私立の推薦入試、それ以外は基本的には公立高校へ、という空気がある。つまりは①自分の意志で「私立高校へ」②金銭的などなどあらゆる面で安全策をとって「公立高校」の推薦(発表は私立校受験の後)③挑戦もあり!で難関の公立高校へ、と大まかに3つに分けられるように思う。それゆえ特に今年は上位2校の公立高校の倍率が高めになっている。つまり中堅以下の公立高校と私立高校の両方が受かっている場合は利便性や校風などで選ぶのだろう。北海道は広い~!少し場所が変わるとこれまた事情が変わり、高校が少ないため自動的に地元の公立高校か遠方の私立高校かの選択肢のところもある。逆に道内の都会では特色ある高校が多く、受験のチャンスが増えるけれど当然どの学校も倍率が高く、水増し合格者を出す私立高校でもかなりの数の不合格者が出たりする。どれがいいかは一概に言えないけれど、ただ一つ言えることは受験生には「ベストを尽くしてほしい」ということだけ。ベストを尽くして最後まで油断せずに実直に取り組み受験当日を迎えるとその先には「合格」という2文字が待ってると思う。そんなこんなで推薦で合格している生徒を除いた中三生は全員私立と公立を受験する予定で3月上旬までは気が抜けない。こちらも最後の最後まで彼らが1点でも多くの点数を取れるよう、失点を少なくするよう協力を惜しまないつもりだ。※ブログを書いたのは昨日だが、アップするのをうっかり忘れいたためタイムラグあり。

2018/02/17 01:51

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

「無駄」「道草」は大切?!

某中学校では期末試験の範囲に「文法」が含まれる。そのため先週から引き続きひたすら文法の演習に取り組んでいる中学2年生たち。学校で使用しているワーク内に「僕だけが買えればよい。」という文があり、下線部はの活用形を問う問題があった。生徒たちは見た瞬間に「仮定形」と正しい答えを出したのだが・・・そのうちの一人が「これって、超自己中心的な人間じゃないですか?自分だけが良ければいいっておかしくないですか~?」とごもっともな突っ込み。まっすぐな性格のS君らしいなあ~と思った。S君は国語の文章内容に対して頻繁に批評をするタイプでその批評が図星のことが多く、いつも感心させられる、と同時に自分自身が中学校時代とは全く違ったタイプだなあと興味深いので「へーっ、一つ一つそうやって吟味して突っ込むんだね~。私なんて買えれ+ばだけに意識を集中して仮定形と答えて終わりだったような・・・」というとさらに深い突っ込みが。「え、そうなんですか?そんなの寂しくないですか?僕は結構英語の長文とかでも内容に対していろいろと考えますよ。そういう無駄って絶対に大切だと思うんです。」とのこと。確かに~~~!今思うともったいない勉強法だったとつくづく感じるけれど、当時は「勉強に興味がある」というよりも「勉強をして○○校、大学に絶対に入る」≒「○○校に入るために勉強している」という状態で、気持ちに余裕が全くなかった。ちなみに臨床心理学者、京都大学名誉教授の故河合隼雄氏は著書「こころの処方箋」の中で「道草」の有用性について次のように書いている。(以下引用)「生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがないのである。大学合格という『目的』に向かって道草などせずにまっしぐらに進むことが要請されているようであるが、実際に入学してきた学生で、入学してから頭角をあらわしているのを見ていると、受験勉強の間に、それなりに結構『道草』をくっていることがわかるのである。そんなこともあるものか、と思われそうだが、このあたりが人間のおもしろいところで、道草をくっていると、しまったと思って頑張ったりするから、全体として案外つじつまの合うものなのである。」(引用終わり)。うーん、うーん、自分を振り返ってみると・・・「道草」ではなく誘惑に負けて「怠け」ていたような気がする。今後は少しはまともな「道草」を心がけよう。

2018/02/15 02:09

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

AI読み

「AI読み」という言葉を案山子先生のブログで初めて知った。確かに「穴埋め」問題のプリント学習だと「答えを探す」作業で終わってしまい本文を全く読まない・・・。かといって抜き出し、穴埋めがない長文の学習をいきなりさせようとすると国語に興味がない生徒はその瞬間に脳死する・・・。まずは「文章を読む」という習慣をどうやってつけることができるか?むろんそれは個々人によっても違うので悩ましいところで、毎日のように生徒Aには○○してみよう、生徒Bには◇◇の方法をとってみようなどと試行錯誤している。さて、この「AI読み」の弊害としてパッ問をみただけで今までの経験上から「きっとこういう問だろう」と自己判断してしまい、国語のみならずどの科目でも悪影響が出ること。例えば次のような生徒がいた。社会の試験で「鎌倉幕府を開いた源頼朝の役職は?」という問があったそうで答えは「征夷大将軍」、別の機会に「鎌倉幕府における・・・荘園の管理や年貢の取り立てをする役職は?」という問が出た際に「鎌倉幕府」「役職」という単語に反応してしまい文章をろくに読まずに「征夷大将軍」と書いてしまったとか・・・。きちんと文章を読む、厳密にいうと問の述語に対する主語は何か?を意識すれば自ずから正しい答えである「地頭」と書けるはずなのだが。昨日の中学生の授業では、動詞の「活用形」「活用」で生徒たちは混乱していた。「活用形」「活用」と聞かれたら何を答えるかについては毎年のように生徒たちは混乱するので昨日の状況は想定内であった。彼らに「何歳?」と聞かれたら「中学〇年生とは言わないよね?14歳です、15歳ですと答えるはず。それと同じで活用形と言われると○○形、活用を聞かれると◇◇活用と答えればいいんだよ。」と伝えると納得していた。語尾が似ているから一瞬ギョッとするけれどじっくりと落ち着いて考えれば決して難しくはない。とはいえ、日常的に使わない内容を聞かれると一瞬混乱するというのも分かる。まずは文章や問の主語と述語をしっかりと意識する、必要に応じてアンダーラインをつけ、図式化するといった地道な努力が必要だろう。案山子先生もおっしゃっているように「読解力は費用対効果が現れにくい」もの。でも一度読解力を身に付けると勉強のみならず日常生活においても何かと有利、一言でいうと世界が広がることが間違いなしで一生のスキルになるのでとにもかくも地道に努力。

2018/02/14 18:29

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

「謙虚」な姿勢

高校入試用のテキスト中の古文は今も昔も「教訓」を取り扱ったものが多く、中でも「謙虚であることが大切」といった内容のものが結構多い。今も昔も「謙虚な姿勢」が大切だと皆、頭では分かっているけれど実行するのが難しいゆえ何度何度も繰り返し繰り返し語り継がれのだろう。さらには「謙虚で正しい道」を求める人には「神のご加護がある」といった内容のものも少なからずある。例えば鎌倉時代の作品「無名抄」(作者は鴨長明)の中に「千載集の事」という話。内容の口語訳を一部紹介する【『千載集』に私の歌が一首入っている。私はたいした家柄でもないし和歌に優れた歌人でもない。それに時流に乗って人に認められた風流人でもない。それなのに1首であっても千載集に入っているのたいそうな名誉だ。」とある人が喜んでいましたが、故・筑前守(中原有安)がそれを聞かれて「このこと(『千載集』にあなたの歌が1首採られて、あなたが喜んでいること)を、ただいいかげんにおっしゃっていると思っていたのですが何度もおっしゃっている。『千載集』を見ると、たいしたことのない人々が十首とか、七、八首とか、四、五首とか入っている例が多い。それらを見ると、どれほど嫌だと思っているだろうと私は推し量ってましたが、そんなこと関係なくこのように喜ばれるのはすばらしいことです。歌道を尊ぶには、まずは心を誠実にきちんとと使うところに秘訣があります。】問の答えとして「謙虚な態度で、何事にも純粋に取り組むこと」「昔の人の考えは筋道のとおったものであり、神仏の加護に値するものである。」が正解となるものがある。言っている内容そのものは「なるほど、その通りだ」となるのだけど、そもそもが「謙虚」という概念が難しいと感じる。「謙虚」とは相手に無条件にへりくだればいいのではなく、むしろ逆で特にお商売では相手と対等、お互いにとってプラス、お互いが喜べる、成長しあえる関係が大切だと思う。決して一方が他方の言い分をすべて飲んで扱いやすい何でもやってくれる、結局いいように使われる…という関係ではない。また「自分はまだまだ実力が足りない。もっと努力しよう」と自分の実力に満足しないで日々精進する姿勢が大切だが、かといって「自分はダメだ」とか卑屈にはならず自信や誇りをもっている態度こそ「謙虚」と言えるだろう。うーん、本物の謙虚さを身に付けるには一生かかりそうだ。

2018/02/13 14:22

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

ビビッときた比喩表現

「14歳ホステスから年商10億のIT社長へ」(久田真紀子著2018.1.8初版発行)という本を読んだ。久田氏は株式会社ヴェスの社長。株式会社ヴェスは、パソコンや携帯、カーナビや家電といった製品に組み込まれたソフトウェアの検証を専門に手がけている。久田氏は去年、週刊女性や朝日新聞などに特集を組まれ、今や時の人となっている。かくいう自分自身も朝日新聞の連載で久田氏のことを知った。ある一人の壮絶な人生を赤裸々に書いている、この本の中で一番共感したのが「会社は子育てとよく似ている。会社を創業したときは、オギャーと産声をあげた赤ん坊である。(中略)5年たつと少しは手がかからなくなるが、それでもちょっと目を離せば簡単に死んでしまう。つまり倒産する。会社が10年を超えることには、思春期が近づく子どものようにやや複雑になってくる。」(本書210ページより抜粋)というくだり。「え?そこ?彼女の生き方に共感したのではないの?」という声が聞こえてきそうだけれど(汗)・・・正直言って彼女の生い立ちや生き方ががあまりにも壮絶なため「すごいなあ」と冷静な感想は浮かぶけれど共感という感覚ではない。話を戻して「会社は子育てとよく似ている。」という言葉を読んだときに「おおっ、素晴らしい比喩表現!!」と、嬉しくなったのだ。規模に関係なく自営業の方々(作家の方なども含む)は自分が提供するサービス、作品などはまさに「子供」のようだ。自分自身に関して言うならば国語教室を開いたのがちょうど3年半前、開塾当初はとにもかくも必死で試行錯誤の毎日だった。3年たつ頃になると少しだけ仕事(子育て)に余裕が出てきて、さあこれからはどんな方針で行くか(どんな方針の幼稚園、保育園に入れるか?)という可能性を模索していく時期になる。実際の子育ての場合は入園のほかに「習い事」をあれやこれやと始めて、しばらくして取捨選択し本人にぴったりの「何か」が見つかればそれらを生かすべくして親子でますます努力する…。自営の仕事も時期、方針、考え方が子育てとピッタリと一致する。色々と試してみて、果たしてどれが残るかは分からないけれど今年はあらゆることに挑戦してみようとワクワクして計画中。

2018/02/12 04:36

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

複数の人に見せよう

毎年、年末~年度末にかけて感じることがある。それは①学校の先生は生徒の文章を直すことを遠慮しているのだろうか?②学校の先生は忙しすぎて生徒の文章を細かくチェックできないのだろうか?の2点だ。むろんすべての先生が①②のどちらか、あるいは両方の条件を満たしているわけではないだろうけれど、少なくとも自分が担当している生徒たちに関しては上記のことを毎年感じる。ある意味それは生徒自身が実感しており・・・だからこそ料金が発生するにもかかわらずセカンドオピニオン的に国語塾の門をたたくのだろう。個人的には生徒から「見てほしい」と依頼された文章には遠慮なく「意見」を言っていいと思う。むろんこれも生徒の性格によりけりだけど少なくとも自主的に「文章を見て下さい」と依頼するようなやる気のあるタイプだと「意見」を伝える方が生徒自身が成長できるし喜ばれると思うのだ。そして生徒には(人を選んだうえで)様々な人に添削してもらうことをお勧めする。生徒が「これは学校の先生に一度見てもらいましたが・・・」(☜字数制限があるにもかかわらず、それをオーバーしている文章!どこをどう削ればいいかの指導がないのが不思議)「学校の先生がすべて書き直しと言うんですが、どんなふうに書き直せばいいか分かりません」(☜「書き直せ」と無責任に言うばかりではなく具体的に指導してほしかった)などなど様々なケースがある。正直言って自分自身はかなり厳しくチェックをする。言葉遣いはもちろんのこと内容は良く書けていても、主語と述語が離れすぎているため誤解を招きやすい文の場合は理由を説明してすべて書き直しをさせる。一度大人のチェックの入ったものを再度見るというパターンが多いけれど、国語教室で添削されたものを別の専門家に見てもらいアドヴァイスをもらうこともぜひお勧めしたいし、大歓迎だ。なぜなら「文章」は確実な正解がないため様々な意見を聞いたうえで自分なりのスタイルを確立すべきだと思うから。また、指導者側としても別の指導者のやり方を見ることによって勉強になるから。すでに朱が入っている文章を見る時「あ、分かる~!自分もこんな風に直すだろうなあ」ということがよくあり、そのことは生徒にきちんと伝えるようにしている。つまり、複数の指導者が同じ個所に訂正を入れる☞今後は確実に修正する必要アリということだと。

2018/02/11 16:13

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

冬の季語「おでん」

昨日の夕方、車中で何気なくラジオを聴いていると「おでん」という季語を使った俳句をリスナーから募集し、その中から逸作を選ぶという企画の番組が流れていた。冬と言えば「おでん」・・・特に寒い日は熱々のおでんを食べたくなるもの。それにしても、多くの具材が入っている煮物をなぜ「おでん」というのか気になって調べてみたところ、一般的に流布している説が次のもの。【おでんは、豆腐田楽の「田楽」に「お」を付けた「おでんがく」からおでんと名づけられました。なんと、その歴史は1200年以上も前となるのです。】(macaroniより抜粋)。これを読んだ時に「おでん」の歴史の長さにビックリすると同時に、確かに昔から小説や漫画に「おでん屋」さんが当たり前のように登場するはずだと妙に納得した。さらに調べてみると夏目漱石の未完の絶筆となった長編小説「明暗」に「おでん屋」さんが登場する。(※「明暗」とは夏目漱石が朝日新聞に連載していたが、病没のために未完の絶筆となった長編小説。)会社勤めの主人公・津田由雄が旧友の小林と会って帰りにどこかで一杯やろうという話に……。【彼は冷やかし半分に訊いた。「君が奢るのか」「うん奢っても好い」「そうしてどこへ行くつもりなんだ」「どこでも構わない。おでん屋でもいいじゃないか」二人は黙って坂の下まで降りた。】さて、自分の中では「おでん屋」≒「赤ちょうちんの屋台」≒「サラリーマンの愚痴のはけ口の場所」というイメージが長い間定着している。夏目漱石が「赤ちょうちんの屋台」というイメージで書いたかどうかは分からないが、昔から漫画などで「おでん屋」は「赤ちょうちんの屋台」として描写されることが多い。自分の中で「おでん屋」≒「サラリーマンの愚痴のはけ口の場所」が定着するに至る実体験がある。塾講師をしていた学生時代、社長に「おでん屋」に連れて行っていただいたことがある。とはいえメンバーは社長と二人きり・・・。正社員には言えないような「愚痴」を口が堅い学生講師に聞いてほしかっただけ・・・。こちらとしては「ご馳走になる」≒「仕事をしろ」という暗黙のプレッシャーで、正直言って「おでん」の味がよく分からなかった(苦笑)。以来、「おでん」は自宅でリラックスして食べるもの!となっている。※この記事は昨日(2月10日)にアップ予定だったが忘れていたため本日は二本アップする。

2018/02/11 15:59

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

「鷲とカタツムリ」

イソップ物語は「伊曾保物語」として日本で古くから親しまれており、入試でもよく出される。☜むろん、古語で!さて、某高校の入試問題で「鷲とカタツムリ」という話が出題されていた。内容は「勇猛なワシが、カタツムリを食べようとしていた。しかし、鋭いくちばしで、どれだけつっついても硬くて殻が割れない。カラスがやってきて『私に半分くださるならば、食べ方をお教えましょう』と申し出た。普段ならばカラスの言葉などに耳を傾けるワシではないが、殻の割り方が分からないので偉そうにしてもお腹はふくれない。ワシは快く引き受けた。カラスは言う『高い空から、岩の上に落とせば、簡単に割れます』と。ワシはカラスの教えどおりに実行しカタツムリを食べることが出来た。このように、生まれ持った能力や地位が自分の方が高くても、そういったプライドにこだわらずにそれぞれの分野での知恵は持っている者、良く分かっている者に聞くべきだ。」という話。問では後半の教訓について書いていある部分の「知恵者」とは誰のことか?とあり、答えは「カラス」。なるほど、なかなかいい話、いい問題だなあと思うと同時に意地悪な自分自身としてはついつい続きを勝手に想像してしまった。それは「聞くことは大切だけれど、聞く相手を選ぶこと。仮に他者に聞いて実行して失敗しても絶対に相手のせいにしないこと。」という教訓。①聞く相手を選ぶこと②相手のせいにしないこと、という2点を付け加えたい気分。今は昔と違って情報を簡単に手に入れることが出来る、その反面情報過多でどの情報が自分にとって有益なのか迷ってしまうので、取捨選択する必要があるから。さらには当然、Aさんにとってベストの情報や方法でもそれが万人に当てはまるという保証はどこにもないので手に入れた情報を実行してうまくいかなくても絶対に相手のせいにしないことが大切だろう。この2点の姿勢をきちんと持っていない限り、自分にとって最適な情報を得づらい、情報を流してもらえないと言いたい。「この人に言っても無駄・・・」と思われないよう気を付けなくては!と意識したいものだ。それにしても続きを妄想するなんて、自分って暇人だなあとツッコミを自分で入れながら入試問題を楽しく解いている。

2018/02/09 13:21

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

必要に迫られると・・・

「オンラインの新しい可能性を開く革命的なツール」と言われているZOOM、きちんと使い方などを学んで来月からスムーズに使えるようにしようと大張り切りだ。ZOOMを取り入れることによって遠方でも指導がしやすくなる、逆に自分自身が人様から指導していただくチャンスが増える、興味深いセミナーなどに参加できる、友人とのコミュニケーションができるなど考えるだけでワクワクする。本年度までは遠方の方から文章の添削を依頼されたときには「添付ファイル+メールのやり取り」が主流だったけれど今後はZOOMを使えばリアルタイムにどの部分をどのように直せばいいかなどを直接指導ができるので楽しみだ。メールで訂正箇所や注意事項を書いたり、添削したものを写真で添付しても「果たしてどこまできちんと読んで理解しているか?」と常に危惧していた。つまり、かなりの時間を使って添削しても「無駄」になっていた部分があっただろうということは想像に難くない。その点、ZOOMだと画面を通して相手の顔を見ながら直接指導ができるので理解しているかどうかが分かり、相手側からもすぐに質問を受けることが出来る。それにしても・・・スマートフォンを持つ気は全くない、ラインやフェイスブックには興味なし(必要性すら感じていない)、自家用車にはナビをつけていないという古いタイプの人間がZOOM?!と我ながら笑ってしまう。ふと思う・・・、人間って結局は「必要に迫られる」「興味がある」のどちらか、あるいは両方の条件がそろわないとヤル気が起こらないんだなあと。自分自身にとってはZOOMは仕事のみならずプライベートにおいても「必要に迫られている」「興味がある」という両方の条件を満たしている。さらに言うならば「必要に迫られる」に至るまでにはそれなりの明確な理由やヴィジョンがあるからこそなのだ。なかなか国語に興味がわかない、必要性に迫られていないというタイプが多い中、少しでも明確なビジョンを持つチャンスを作り興味を持てるよう常に試行錯誤している。

2018/02/08 09:27

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

ようこそゲストさん
「プッシュ!」でまちを応援しよう!

「プッシュ!」ボタンを押すとあなたのおすすめのスポット、共感した情報としてトップページに表示され注目度があがります!

「プッシュ!」ボタンを押すと、とんたんが!?

ようこそゲストさん

このサービスをご利用になるにはログインする必要があります。

会員登録されている方はログインして下さい。

会員登録されていない方は新規会員登録(無料)を行って下さい。