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小さな国語塾のつぶやき

ケアレスミス

数年前の教え子(現在大学生)の口癖が「凡ミスしてしまいました~!」だった。※「凡ミス」とはケアレスミス、うっかりミスのこと。毎回毎回、演習やテストのたびに「凡ミス」発言を繰り返し正直言ってあまり反省している様子がなかった。なぜなら本人の中では「凡ミス・・・本当は解けるけれどうっかり間違えただけ!だから実際の実力は今の点数よりも+15点!」という意識が強かったから。指導者側からするとケアレスミスだろうが何だろうがミスはミス!全く手も足も出なくて解けない(解かなくて)0点と、途中まで解いたけれど答えを間違えてしまい0点…の場合どちらも同じ0点なのだ。さて、今週から新学期が始まった学校が多く、国語塾の方でも「作文」「読書感想文」「意見文」といった「文章を書く」中心の授業から通常の授業へと戻った。他塾での演習、自主学習、国語塾から出された宿題などでコンスタントに長文に触れているはずの生徒たちなのだが・・・・、3週間~1か月近くお教室で長文に触れていなかったせいか、ことごとく自分のやり方に戻ってしまっているタイプがチラホラ。少々リハビリ・・・と思い目標時間30分となっている演習問題を敢えて10分に時間設定し、問2、問4だけは取り組むこと、当然本文は読むことという指示をした。問2に関してはいわゆるケアレスミスをする子が続出するだろうなあという予感があり、問4は記述式の問題だったのできちんと板書して解説しようと思ったから。10分後、案の定というべきか問2でミスをする子が続出。黙って問の部分をペンでこちらから指した瞬間に全員が正答。問では「下線部アと反対の意味で使われている動詞を同じ段落から抜きだせ」、答えは「疑う」。でも何人かは傍線アの近くにある「疑い」を読んで「これだ~!反対の意味だ!と張り切って答えてしまった。問の「動詞」という部分をきちんと意識すると間違えない問題なのに・・・・。どの科目でもそうだが、基本的なことをしっかりと身に付けておかないことには太刀打ちできない。その点国語は比較的簡単で、一言で言うならば視覚に訴えるべく「印」「チェック」を入れること、たったそれだけを守るだけでいわゆるケアレスミスの半分はなくなるだろう。

2017/08/19 16:20

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本音と建て前

「作文」というと「自由に書いていい」と学校では言われるし、そのようなイメージがあるだろう。でも実際はというと子供たちは意外ときちんと「本音と建て前」を使い分けている。自由≠利己的ということを理解していること自体は素晴らしいけれど、だからこそ「作文」が苦手なタイプが多いんだなあと実感した。小学生たちは今日から新学期。新学期が始まると大抵の小学校で課されるのが「夏休みの思い出」作文。というわけで昨日の小学生クラスでは「作文の書き出し」について演習を行った。A(一般的な作文)、B(オリジナルな書き出しの作文)を準備し、自分や周囲はどちらのパターンで書くことが多いかを確認。もちろん全員Aと答え、ABともに文章としては正しいけれどインパクトがあるのはBということも確認してからBパターンで書く練習を行った。日ごろとは違うパターンの文章を書くとなるとハードルが高いだろうと思い、「夏休みの思い出」のテーマとして「良いことのみならず悪いこと(嫌だったこと)も書いていい」という条件にした。すると・・・、書ける、書ける!皆本当にさらさらと書くので「なんだ、みんな学校で作文を書く時に困ってないよね。」と声をかけたところ全員が「いや、困ってます。ここ(国語教室)では何を書いても怒られないから書けるけれど学校では書けないことも多いので本当に大変です。」という返答。なるほど~~~。ちなみに昨日、彼らが書いた内容は「いかに夏休みの宿題が大変だったか」などについて本音炸裂であった。うーん、確かにその内容を学校の課題で書くのははばかられる・・・。理解がある先生で純粋に文章構成を評価してくれる、あるいは本人が読み手を納得させるだけの文章を書いたならば話は別だけれど。「本音と建て前」と使い分けながら頑張っているんだなあと実感した出来事であった。というわけで今後の課題は①いつもとは違うパターンでも書ける技術を身に付ける(書き出し工夫)②本音で書く場合は、相手を説得できるような論理的な文章で。という二点。ちなみに昨日の文章は相手を説得できるかと聞かれると、あと一歩というところか。

2017/08/18 14:55

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喉元過ぎれば熱さを忘れる

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺がある【意味】熱いものも、飲みこんでしまえばその熱さを忘れてしまう。転じて、苦しい経験も過ぎ去ってしまえばその苦しさを忘れてしまう。また、苦しいときに助けてもらっても楽になってしまえばその恩義を忘れてしまう。これは良い時にも悪い時にも使われる諺で、例えば何かに初めて挑戦するときには緊張してガチガチだったとしてもそれが成功すれば二回目以降は一回目の「ガチガチ」状態を忘れたかのように、堂々と物事を行うことが出来るだろう。つまり辛いことや失敗に近いようなことは忘れることによって前進したり成長することが出来る。とはいえ、忘れてはいけない経験を忘れてしまい同じ失敗を繰り返すのはもちろんよくない。さて、十勝地方は今日や明日から新学期が始まる学校がほとんどで「宿題がまだ終わっていない」と焦っている子供たちもチラホラいるようだ。毎年「今年こそは早めに宿題を終えるぞ~」と決心するものの、ついつい「喉元過ぎれば・・・」となって毎年のように同じ失敗を繰り返すというのが世の常。だが幸いにして国語塾の生徒たちは、喉元を過ぎても熱さを忘れおらず!!!今年は本当に平和だった。去年は新学期直前まで読書感想文や意見文、作文が仕上がっておらずてんやわんやしていた生徒は今年は自ら早め早めに取り組み、さらには去年、筆が進まなかった理由を自分なりに分析してそこを改善していった。それが一人ではなく複数名!素晴らしいの極致!来年度もこのような平和な新学期を迎えることが出来るよう期待している。そして彼らに言いたい。周囲が夏休み最終日になっても「意見文が書けていない・・・」「読書感想文を書くために徹夜した」という声を聴いた時に味わう快感や優越感ってたまらないっでしょう?と。こうして偉そうに書いている自分はというと何度も何度も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を繰り返しては反省ばかりの日々だけれど。

2017/08/17 13:54

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人間至る処青山有り

「人間到る処青山あり(じんかんいたるところせいざんあり)」という諺がある。人はどこにだって骨を埋める地があるものだ。故郷ばかりが死に場所ではないのだから志を持って郷里を出て大いに活躍すべきであるという意味。釈月性という江戸末期の僧が表した詩に由来する言葉である。江戸時代というと先祖代々の土地をしっかりと守ることが大切だった時代、そんな時代にこういった考え方は斬新だなあと感じる。ご先祖様の土地や家を守ることは大切、でも何らかの事情で故郷を出ることになったとしてもそれを卑下する必要は全くないと思うのだが・・・そう思わない人々が大半という地域が世の中にはいくつも存在する。個人的には家や土地を代々守ること、新天地を求めて郷里を出ること、どちらが優れているとは言えずどちらも有りだと思うのだ。そもそも北海道は日本各地から移住者がやってきて開拓がなされたおかげで成り立っている。つまり、ある意味100年ほど前にそれぞれが事情を抱えながら、そして希望に燃えて故郷を捨てて北海道に移住したわけで本当に頭が下がる。様々な故郷を持つ人々が集まっているという事情の土地ゆえか、外部からの人間を本当に暖かく迎えてくれる素晴らしい土地柄の北海道。有難い限りだ。また、故郷にとどまる、あるいは新天地を求める…ともに自由に選択できる日本という国に生まれてよかった~ともつくづく感じる。おかげであちこちと渡り歩き、現在北海道在住の自分はそろそろこの辺りで骨をうずめてもいいかなあ思い始めている。ただ、諺では「故郷を出て大いに活躍すべき」とある・・・・、まだまだ「活躍」にいは至らないので日々精進して活躍してから天寿を全うしようと大張り切りの今日この頃。なんだか北海道という土地自慢になってしまった今日のブログ(苦笑)。でも本当に素晴らしい場所だということは間違いない。

2017/08/16 02:52

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なぜ国語なのか?

「なぜ国語を教えるのか?」という問いは今までに数えきれないぐらいにされた質問。この質問には「教えるという仕事になぜ就いた?」以外に「なぜよりによって国語?英語や数学ではないの?マイナーだよね。」といった意味合いが含まれていることをひしひしと、頻繁に感じる。毎回とりあえず「国語が好きだから」と答えているが、よくよく考えると原点は「古文」にあると言っていいかもしれない。①現代文ではほとんど苦労しなかったけれど、中学生時代に古文だけは思い切り苦労し、それを克服した→実は古文には勉強法があるということを伝えたいと思うようになった。②日本の古典から伝わる思想や考え方が大好き→教えることのみならず「古文」の予習をすること自体が楽しい。③大学1年生の時に初めて塾で集団クラスを持った時に当時中学1年生だった男子学生が「先生、古文って面白いですね」と言ってくれた→国語を教える自信につながった。この3点が大きな理由かもしれない。①に関して言うなば古文の「む(ん)」をすべて「否定」だと勘違いしたため古文の本文がちんぷんかんぷんに。例えば日常生活で「いる(必要)?」と聞かれたときに「いら(いらない)」、「してもいい?(許可)」に対して「あか(だめ)」といったように関西独特の言い回しをそっくりそのまま古文にも当てはめていたというのが混乱を招く大きな要因となっていた。実は古文の「む、ん」は推量・意思なのだと途中で気づいてなんとか高校入試に間に合ってほっ。②については個人的に吉田兼好の徒然草、本居宣長の玉勝間、平家物語がお気に入り。例えば「玉勝間」にはこのような話(中三テキストより)がある。「人のただ一つの言葉や、ただ一つの行為によってその人全体の良さ、悪さを決めてしまうのは、中国の本によくあるが、これはまるで正しくないことだ・・・・・。」はっきりと決めつけない「あいまいさ」が日本人特有の気質と言っていいかもしれず、それが批判対象になることもあるけれど、個人的にはその「日本人らしさ」が好きだ。スペースの関係上、玉勝間の続きは割愛したけれどおもわず考えさせられる内容が続く。③については、緊張でドキドキで中3対象の授業がうまくいかずへこみかけていた自分に対して光を与えてくれた男子学生、今でも感謝している。以上が今日に至るきっかけ。読んでくださったことに感謝。

2017/08/15 15:55

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望郷の念=ホームシック

今日はお盆の真っただ中、お盆は故郷で過ごすという方々も多いだろうし、それは素晴らしいことだと思う。が、何らかの事情で故郷に帰りたくても帰れない・・・という状況の人もいる。むろん帰りたくないから帰らないという人も同じぐらいいるだろう(苦笑)。さて、故郷を懐かしむ…望郷の念を持ち続けたといえば言わずもがな、石川啄木があまりにも有名。「ふるさとの 訛りなつかし停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」「やはらかに 柳あおめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」(意味・・やわらかく柳の芽が青く色づいた北上の岸辺が目に見えるようだ。故郷を思い懐かしさにいかにも涙を誘うかのように。※北上川とは啄木の故郷、岩手県を流れる川)といった短歌が有名でこれらは教科書にも掲載されている。国語のテキストやテストにはこれらのことをふまえて「石川啄木≒望郷の念」ということが問われることが多い。石川啄木の歌に込められている気持ちとして4択で正解は「望郷の念」を選ぶといった具合に。そんなわけでお教室では有名な俳人、歌人の特徴などを徹底的に何度も何度も繰り返しあの手この手と手法を変えながら生徒たちに伝えており、当然、石川啄木≒望郷の念は伝授済み。さて先日、読書感想文の題材として「僕らの七日間戦争」を選んだ生徒。作中に「ホームシック」という言葉が何度も出てきたのだが分からなかったらしく「先生、ホームシックってどういう意味ですか?」と問うので「家に帰りたい!という気持ちだよ。」と答えた。その途端に「あ、そういえばそういう人いましたよね?昔に・・・ほら、上野駅で故郷の訛を聴きに行った人!ほら、あの・・・・あ、そうそう石川啄木!!!」という名解答!つまり「ホームシック=望郷の念=石川啄木」ときちんと結び付けた生徒。「望郷の念」と日本語で言うとしみじみとした味わいがあるけれどそれを「ホームシック」とカタカナで表現すると身もふたもないなあと周囲にいた人全員で大笑い。些細なことを笑い飛ばせるようなタイプだと望郷の念にとりつかれたりホームシックとは無縁なんだろうけれど、そうはいかないから世の中難しい?!

 

 

2017/08/14 11:26

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ゴーストライター

先日、実姉から「○○の読書感想文の添削をしてほしい。もちろん料金は払いま~す!」というメールが。先月に○○の妹(つまり姉には子供が二人いる)の作文を2本添削したばかりで、次はお姉ちゃん(高校2年生)の方かああ…フムフムとメールを読み進むうちに「(。´・ω・)ん?」となった。実は「○○ではなくすべて私が書きました。晩酌しながら書き、疲れて読み返す気力もないのでそのまま添付します。」とのこと。はー??つまりは完全にゴーストライターってこと?!とおもわず苦笑。正直言って姉よりも姪っ子の方が文章が上手なのに・・・、これで添削をきちんとしてあげなかったら学校先生に「○○さん、下手くそになった」と思われたら困るので必死で頑張って添削した。姪が文章が上手な証拠としては、彼女が小学4年時に新聞社主催の全国エッセイコンクールに応募したところなんと見事に入賞し全国紙に堂々と名前が載ったこと、毎年行われる学内作文コンクールでは入賞している(ちなみに叔母さんが添削しているのは言うまでもない…苦笑)ことなどが挙げられる。そんなこんなで責任重大とばかりに張り切ると同時に「とうとうゴーストライターが書いたものを出すか~」と苦笑い。ちなみに先日、生徒さんの保護者もおっしゃっていた。どうしても意見文や読書感想文が書けてなくて親が書いて出した人がチラホラいる・・・と。姪の場合は何か事情があって今年は書く暇がなかったのかもしれないけれど・・・・。夏休みのこの時期になると毎年毎年、塾生以外からもSOSの声がかかる・・・、手が回らない場合はお断りしているけれど。明らかに生徒にとって負担となる課題に関してはもう少し事前授業や見本を配布するなどの配慮があったらいいなあと思う今日この頃。むろん中高生たちが「自分の宿題」という自覚を持ってほしいものだ。

2017/08/13 01:08

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卒業生S君

昨日は最高に嬉しい再会があった!なんとなんと3月に卒業したS君が釧路から札幌の自宅に帰る途中、国語塾に寄ってくれたのだ!時刻は午後7時半・・・それから札幌に向かわなくてはならないため結局は玄関先での再会だったけれど本当に嬉しかった。たったの数か月会ってないだけで身長が2センチ伸び、すっかり高校生らしい雰囲気に!さて、S君と言えば3か月ほど前にアクシデントがあり、それに対処するべくしてS君からSOS依頼があったことはブログに書いた。その際、親にSOSしたところで解決は難しいうえにアクシデントの内容に関して思い切り怒られるであろうことは火を見るよりも明らかだったので「よく頼ってくれたなああ。よし助けてあげよう」と張り切ったわけだが、そのことを親には言わなくてもいいのにちゃっかりと自ら親に申告していたS君。そのことに対するお礼を伝えるという意味合いもありご両親とS君は忙しい中、わざわざ寄ってくれたようだ。思わずS君に「え?言ったの?言わなくてもいいのに・・・・」と言うとすかさずお母さまが「そういう大事なことを黙っていて後からバレたら私は3倍息子を叱ります。きちんと人様に迷惑をかけたりお世話になったら報告するように伝えています。」とのこと。この瞬間に「ああ、このご両親の息子だから・・・、S君はS君なんだああ。」と思った。つまり「自分にとって都合の悪いことは言わなくてもいいよ~。素直でまっすぐのS君のことならばいくらでも助けてあげるよ~」と思って必死でできる範囲で動いたわけだが、そう思わせる性格だからこそきちんと素直に親に事後報告するんだなあと。逆説的だけれど、自分に都合の悪いことや人様を頼ったりした場合はきちんと親に報告するぐらいの素直さを持ち合わせているからこそ、何か困ったことがあったら助けてあげたい!と周囲が思うんだなあと感じる。S君のSOSに関する記事にも書いたけれど、一応こちらも相手を選んでいるつもりで非常識な?わがままや依頼は丁重に、断固として「無理です」と断るわけであって。親にアクシデント+人を頼ったことは言わなくてもいいよ~と思いつつも実は心のどこかで「きっとS君は報告するんだろうなああ」と分かっていたというのも事実。何はともあれ変わらず素直で頑張り屋さんのS君の姿を見てパワーアップでき、ただただ感謝!

2017/08/12 00:32

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夏は日向を行け冬は日陰を行け

【夏は日向を行け冬は日陰を行け(なつはひなたをいけふゆはひかげをいけ)】という慣用句がある。1.夏には敢えて日の射す道を行き、冬には敢えて寒い日陰を行くように、進んで厳しい道を選び自(みずか)らを鍛(きた)えなさいということ。身体を健康に保つ方法。2.夏の日陰や冬の日向は人に譲(ゆず)りなさいということ。出しゃばった行動を取らず、謙譲(けんじょう)の心を持ちなさいということ。この諺は半分合っているけれど半分はどうなのかなあと個人的には思う。心がけとしては素晴らしいと思うけれど、夏に敢えて日の射す道を行くと熱中症になる~、日焼け止めを塗るという対策をとっておかないと後で皮膚がひりひりして大変なことになる!皮膚がんへまっしぐら!とツッコミを入れたくなるからだ。むろん諺、それに対するツッコミも比喩的的表現なのだけれど。つまり敢えて厳しい道を行くことは確かに本人の成長につながったり周囲に対する態度としては素晴らしく、周囲からの受けがいいかもしれない。でも何の準備もせずにいきなり厳しい道を選んだら下手すると取り返しのつかないことになりかねないと言いたい。ではその基準をどこに置くか?夏に日向、冬に日陰に行くことによって得られるであろう体力や忍耐とそれを得るために失うものやリスクのバランス収支がプラスになるか?挑戦することに対してワクワク感が起こるか?という2点に限ると個人的には感じている。もしも明らかに自分には「夏に日向、冬に日陰・・・」が大それたことと感じ、回避可能ならば堂々と回避すればいい。堂々と「夏に日陰、冬に日向」でいいと思う。昔から言い伝えられている諺が絶対に正しいというわけではない。人によって「日向」「日陰」の基準もバラバラなので人を押しのけてまで自分が快適な空間に・・・というのは言語道断だけれど常識の範囲、自分のキャパシティの範囲内、プラスの収支、ワクワク感を大切に道を選んでいきたいものだとふと考えた一日だった。

2017/08/11 01:48

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読書感想文≒拷問

「夏」と言えば「怪談」・・・ではなく国語塾にとっては「読書感想文」の時期。今年はかなり早い時期から他県を含め(メール、添付ファイルでやりとり)皆動き出している。ようやく山場を越えたとはいえ、チラホラと毎日のようにポストにノートが入っており、生徒とまるで交換日記のようなやり取りをしている(苦笑)。ん十年前の自分自身もとにかく苦労していたので生徒たちが四苦八苦している気持ちはよく分かり「読書感想文≒拷問だよね」というキャッチフレーズが飛び交っている。「拷問」なんていうととっても物騒なイメージがある!(漢字そのものの成り立ちは「手」で「たたく」で「拷」となった。「考」は「攷(こう)」に通じ、同じ読みを持つ「攷(たたくという意味)」と同じ意味を持つようになったそうだ)。けれど「考」は「たたく」のほか、もちろん主な意味は純粋に「考える」こと。「拷問」を分解して後ろ(下)から読むと「自分に問いかけて、考えてそれを手で表す(書く)」となり読書感想文の本質を言い表しているなあと一人でニヤニヤしている。つまり本来の意味ではなく、あくまでも字を分解してみると・・・の話だが。いやはや正直言ってこうして漢字で遊んでみるぐらいの気持ちの余裕がないとやってられない?!生徒たちはまずは5枚下書きをして、それらを清書するわけであって本当の本当に「お疲れ様」と言いたい。ただ読書感想文で一度苦労すると2年目以降は皆それぞれ知恵がついて早め早めに取り掛かったり、助言を求めたり、書き方のコツをつかんだり・・・と間違いなく成長している。成長ぶりは数値化したりはっきりと本人の目に見えるものではないけれど、第三者から見るとよく分かる。書き終えた生徒たち、本当にお疲れ様。あともう一歩の生徒たちにはあきらめないでがんばろ~と伝えたい。

2017/08/10 03:20

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