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小さな国語塾のつぶやき

国語塾の日常

先週は期末テスト対策をしたところ中学2年生の生徒たちはほぼ全員「形式名詞」「連体詞」「副詞」で混乱している。教科書や問題集では「連体詞」「副詞」についてそれぞれ「連体修飾語になる」「連用修飾語になる」とあるけれど「連体修飾語」になりうるものは連体詞のみならず形容動詞もそうだし、そもそもがこれらは見た目が似ており(「大きな」=連体詞、「きれいな」=形容動詞)・・・、「連用修飾語」も同様なので生徒が混乱するのは当然だ。一つ一つ説明し例題を出して演習するとその時は分かるのだけど別の単元になると、これまた混乱。というわけで頑張り屋さんのS君は振り替えをうまく利用して先週は二日連続で通塾、さらには自主的に居残り。一通りクリアしたところで、保護者にお迎え依頼の連絡を入れてホッとしたところ突然に「あ、分からないところがあったんだ!聞くの忘れた~!」と叫ぶので「どれどれ?見せて」と声かけをした。保護者は5分ほどで到着予定なので、質問内容によってはお待たせするかもと思っていたところ「数学なんです」とポツリ。その瞬間に「あ、じゃあダメダメ。ここは国語教室だから片付けてね」と知らん顔を貫く予定が・・・・そこは通塾歴が長いS君。口頭で「一次関数の変化の割合で・・・・」とぶつくさ言いながら自ら黒板に板書を始める。そこまでされたらこちらも黙っているわけにはいかず、時間にすると3分で「ここは超簡単。今から言うことを暗記して、それらを利用して・・・」とついつい余計なお節介をしてしまった。ちょうど保護者が到着したので張り切って出口に向かったS君の口から出た言葉が「先生!実は簡単ですね!!数学って。国語よりも数学がめちゃくちゃ簡単だってことが分かり僕は満足です。○○にも今日の数学の解き方をおしえてあーげよっと!」と満面に笑みをたたえて颯爽と車に乗り込んだ。はーっ。S君とは逆に疲労感だけが残ったことは言うまでもない。「確かに国文法は難しいけれど、だからといって国語そのものが難しいとはならないよ~~~、数学よりもよっぽど楽しいよ~~~」と遠吠えしたい気分だった。こんな風にアットホームなお教室、ぜひぜひお近くで、興味のある方はご一報を。

2017/08/29 00:42

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読書感想文、裏技

「さすがっす!あんなに書きづらい本でこんなにも上手に書いてくれるなんて!」というのが卒業生からのメール。思わず大笑いしてしまった。どういうことか?いよいよ夏休みも終盤に入り、読書感想文や作文系で焦っている子供たちが続出する頃で、例にもれず焦って連絡をくれた元生徒(十勝の小中学校はすでに新学期が始まっているが)。読書感想文に関してはまず大切なのは①選書!書きやすい、興味を持てる内容の本を選ぶこと。②型にはめて書く。この2点だと思うけれど、そもそも①選書で間違えた卒業生。ある日「先生、○○って本知っていますか?」に始まり・・・。何日か後に「進み具合はどう?」とメールをすると「つまらなさ過ぎて読めないです。」という始末。別の本を選んで読むという時間がないしその気もなさそうな元生徒。高校生ということも考慮して次のような裏技を伝授した。それは「別の作品と対比させること」。たまたま彼が選んだ本はどう考えても彼自身との共通点が見つからず、共感できる部分などなどが皆無・・・。が、幸いなことに書きぶりが平安時代に清少納言によって書かれた「枕草子」と共通点が多いことに気づき(回想録、良い思い出のみに焦点を絞っている、主人公は同性の雇い主に全幅の信頼を置いており、雇い主からも信頼されて可愛がられている)、ネットでも確認したところ、そういう感想文は皆無だったため「枕草子と共通点がある」「どの時代も日本人は必死で一生懸命生きていることに気付いた」とまとめるように提案した。プラス、見本の文章をかなりの量サービスしておいた(苦笑)。締め切りを確認したところまだ余裕がありそうなのでほっと胸をなでおろした。さて、学年によって目指すものが若干違ってくるけれどある程度の年齢になると「いかにも博識です」的に(笑)他の作品、作中の時代の出来事などと照らし合わせて書くという裏技もあり!ぜひお試しを。

2017/08/28 02:09

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天知る、地知る、我知る、人知る

「天知る、地知る、我知る、人知る」という言葉がある。意味は「だれも知らないだろうと思っていても、天地の神々は知っているし、私も君も知っている。悪事は必ずあらわれるものである。隠し事はいつかは露見するものだ。四知。」〔「後漢書楊震伝」より。楊震が王密のさし出すわいろを断った時の言葉〕。この場合の「人知る」の「人」は目の前の相手のことを指すけれど、意外と本人の気づかないところで良くも悪くも「人」は見ているものだと思う。先日「生徒の言い分(8月22日付)」という記事をアップしたが、その際に某生徒が自分の頑張りなどを同級生には理解と評価をされない的なことを言っていたけれど、意外と見てないようで「人」は見ているものだと納得するような出来事があり、こちらまで嬉しくなった。先日、某生徒がお教室に入ってくるなり「先生!意見文を担任の先生のすごい褒められました。さらには全く関係のない保健室の先生まで呼び止められて褒められました~」と満面に笑みをたたえながら報告してくれた。また別の生徒も(この生徒は評価されない的な不平は漏らしていないが)「先生!担任(国語担当)に意見文上手!!と褒められました~~~」というこれまた嬉しい報告。どの学校もクラス内で各自発表し、生徒投票が行われるため基本的には一人一人の意見文に担任の先生がコメントや口を挟むということはないと思われる(担任の発言が意見文投票に影響してはならないから)。だからおそらく個人的にそっと?褒めてもらえたのだろうと想像する。どんなシチュエーションであっても「認めてもらえた」という体験は彼らの自信につながり、特に前者の生徒にとっては見ている「人」って存在するということを自覚できたことだろう。こういう報告を聞くことが今後の指導への活力となっていると同時に、自分自身においても「なんで~」と思えるような理不尽なことに対して頑張らざるを得ない時でも「天知る、地知る、我知る、人知る」と信じて前進あるのみ。

2017/08/27 03:16

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平安期ひらがな 刻んだ土器

山梨県甲州市塩山下於曽の平安時代の「ケカチ遺跡」の別館跡から、和歌を刻んだ10世紀半ばの土器が見つかった。(中略)「中央から地方へのひらがなの伝播を知る上で極めて重要だ」(中略)筆運びの巧みさから、都から派遣された国司のような人物が送別の宴席で地元の有力者に贈ったものとみられ、教養人が地方にいたことも示している。(2017.8.26朝日新聞より)この記事を興味深く読んだ。地方に派遣された国司にとっては「都落ち」という気持ちが生じたことがあったかもしれないが(国司 紀貫之がそうであった)そのおかげで地方に「ひらがな」という教養が伝わったことは喜ばしいことだ。自分自身が高校受験や大学受験の時には地方と都会の格差が結構激しかった。どうしても優秀な指導者は都会に集中し、良い教材もすぐには手に入りづらかったけれど、徐々に衛星放送⇒ネットで現在は地方でも超一流の先生方の映像授業を受けることが出来る。教材もネットで注文すればあっという間に手に入り、地方と都会での格差は縮まりつつある。それに引き換え1000年前なんていうと交通機関はもちろんのことあらゆる点において都会からの情報が地方には伝わりにくい。そんな中、先にも書いたけれどもしかすると本人にとっては不本意な赴任の場合もあったかもしれないが教養人が地方に赴くことによって教養・知識が地方に広がっていったことは本当に素晴らしいの極致だろう。先日から書いているように悪事だったり、「デマ」はなぜか放っておいてもあっという間に広がるけれど、人間性をを高めるための正しい情報は意外と伝わりにくいもの。でもたった一人の教養人が仮に数名に平仮名などの教養を伝えたとしたら、その数名がまた各自数名に伝えると決して早くはないけれどじわじわと確実に伝授されていく。日ごろ当たり前のように使っている「ひらがな」の伝わり方に思いをはせることによってますます「文字」が好きになりそうな予感であった。

2017/08/26 17:15

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火のない所に煙は立たぬ

「火(ひ)の無い所に煙は立たぬ」という諺がある。意味は「まったく根拠がなければうわさは立たない。うわさが立つからには、なんらかの根拠があるはずだということ。」確かにその通りで、皆もこの諺が真理を突いているとしっているからこそ廃れずに長年残っている諺だ。とはいえこの「根拠」が一体何なのか?下手すると腹いせによる「でっちあげ」や「思い付き」という場合もあるということを肝に銘じておく必要がある!つい先日「???」「意味不明」という「うわさ?」を耳にした。小学生生徒「先生!○○中学の◇◇部(文化部)って体重制限があるんですよ。だから私は太ってるから本当は来年◇◇部に入りたいけれど無理です・・・(半分涙目)。」この瞬間に「????」なぜなら○○中学の◇◇部は元教え子たちが複数在籍していたけれど、そんな話は一度も聞いたとがないし学校で一番緩くて雰囲気がいいと長年思っていたから。さらに生徒は「今の2年生女子が1年生の時に、入部したいと部長に言ったら『あなたは太っているからダメ』って言われたらしい。それがショックでしばらく不登校になって、一応学校に行けるようになってからは本当は◇◇部に入りたかったけれど怖いからやめて嫌々ながら別の△△部に入ったらしい」と言う。もしもそのうわさが本当ならば学校を上げて解決に取り組むはずだし、そんな非常識な発言をする人間が部長になるとは思えないのだが・・・。とはいえ、生徒の話を腰を折るのは気が引けるので「そうなんだ・・・」「ふーん」とテキトーに相槌を打った。さて、翌日に○○中学2年生複数に「突然だけど不登校の生徒っている?あ、去年一時的にだけ・・・」「◇◇部ってこわい?」などなど質問したところ、不登校の生徒はいない、◇◇部は超緩いとの返答。賢い彼らは「体重制限?バカじゃない~~~!もしもそれが本当ならば、△△部にはパッと見た瞬間に目立つ体形の子がいるはずだよね。でもいないよ~~~」とのこと。さらに現在◇◇部に所属している生徒にも聞いたら、あまりのばかばかしさに大笑い。小学生が聞いた「噂」はいわゆるガセネタに違いないことが判明。次回、小学生とには「噂は嘘だと判明したから気にせずに来年度は◇◇部を見学して、気に入ったら入ったら?」と伝えるつもり。「火のない所に煙は立たぬ」とは言うけれど「噂」はあくまでも「噂」で真実とは限らない!このことも生徒に伝えようと思っている。

2017/08/25 13:35

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「秋」≒「人生」

昨日は月に一度のラジオ生出演。本当の本当に楽しかった~~~。今回も担当者M様に感謝感謝!なぜこん何楽しいか?①担当者M様が素敵②テーマに合わせて色々と調べることによって勉強になる③発信することが好き、この3点がラジオ出演を楽しく感じる理由。さて、昨日の放送のテーマは「秋の言葉」。いくつかお互いにお気に入りの諺などを紹介しながらの番組進行で、自分自身はというと「秋日荒涼」(もの寂しい秋の景色のこと)という四字熟語を紹介した。それに関連し紫式部が「秋」を人生にたとえており、その感性が素晴らしい!と述べたのだが、そう思わせた彼女の句を今日は紹介する。「おほかたの  あきのあはれを思ひやれ 月に心はあくがれぬとも」(意訳)「世の中は、もの悲しい寂しい秋に包まれています。どうか、そのことを思いやってみて下さい。あなたは美しく輝く月のような女性と出会って心躍っているのでしょうけれども、その陰には嘆きに沈む女たちがいるのかもしれませんから・・・・。」華やかな宮廷の世界に身を置きつつも、冷静な目で宮廷の裏側の負の部分や世の中を見つめた彼女の視点は素晴らしく、大作「源氏物語」の作者らしいと改めて感じる。秋は冬への準備をする時期で、それらを目の当たりにできる頃=もの悲しく寂しいイメージが合う。これが「夏」だといまいちピンとこない・・・。むろん秋は「収穫」の時期でもあり明るいイメージもあるけれど。人生は楽しい方がいいに決まっている、でも楽しいことばかりの人生を歩める人なんて絶対にいない。ある意味、苦しみがあるからこそ楽しい時のありがたみが分かる。楽しい、うまくいっている時こそ有頂天になって浮かれて足が地につかない状態になるのではなく、紫式部のように常に冷静でぶれない視点を持ち続けていきたいもの。

2017/08/24 13:58

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悪事千里を走る

「悪事千里を走る」という諺がある。意味は「悪い行いについての情報はとても早く、広く伝わるということ。だから悪事を働いてはいけないとい。」という教訓。唐末から北栄初の人孫光憲が唐末から五代にかけての著名人の逸話を集めた「北夢瑣言(ほくぼうさげん)」の「講じ好事不出門、悪事行千里(こうじもんをいでず、あくじせんりをゆく)」より。一里とは距離の単位で、約3.9キロメートルなので千里とはおよそ3900キロメートルのこと。遠い昔ですらこういうことを知っており、戒めとして伝えていた。ましてやSNSなどが発達している現在にはぴったりの諺で、言い得て妙だとつくづく感じる。さて、この諺は語源は「行く」だったが「走る」に言い換えられているところも個人的にはお気に入り。なぜなら「走る」の方が伝わるスピード感をより的確に表しているからで、もしもこれが「飛ぶ」ならば速さに関してはぴったりだが「出発地点から目的地へ一瞬で行く」というイメージになってしまい(個人的には)「走る」という擬人法が効いていると感じている。さて、この諺を最初に知ったのはおそらく小学生低学年の頃だったと思う。当時は「悪事」という抽象的な言葉を言われてもあまりピンとこず、ただ「悪い」≒「黒い生き物」(ムーミンに登場するスティンキーのイメージ)がサーッと逃げるようにして走るという感覚でとらえていた。当たらずとも遠からず?むろん今では初めての言葉に出会ったときにすぐに正しい意味を解釈できるけれど、幼い頃はそれは無理。そんな時に分かりやすい言葉で表現されているとイメージとしてなんとなくの意味をつかみやすい。そんなことからも「悪事千里を走る」をはじめとした古来から伝わる諺や慣用句というものは、短い表現で本質を分かりやすく説明しているので、次世代にも長く伝えたいなあとつくづく感じる。

「スティンキー」の画像検索結果

2017/08/23 12:08

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生徒の言い分

「今の知識で書きうる限りのことを書きました。」と静かにつぶやいた某生徒。す、素晴らしすぎる・・・、と生徒の成長が嬉しかった。先のセリフは、先日意見文の推敲を終えて「完成!お疲れ様!」とこちらから声をかけたときの生徒のセリフ。さらにこの後に「自分は以前は全く意見文を書くことが出来なかったから周りを参考にしようと思って、周囲の作品を見たり聞いたりしたけれど到底意見文と言えるものはなくて全く参考にならなかったです。」「意見文は生徒投票になるのでどうしてもウケがいい物ばかりが選ばれ、自分の作品(きちんと意見を書いている、テーマが難しい)は皆には理解されないと思います・・・。」とポツリ。その後に個人的にそのことについて色々とお互いに話したのだが・・・。この時のエピソードには3点の真理が含まれると思う。①学んだり、参考にするならばきちんとした見本を探すことが大切②条件を完璧に満たす☞評価につながるとは限らない。決まった答えがなく、人間が評価する場合は[条件+運、魅力?!]といったものが評価にかかわってくるから。だからといって「型」を守らなくていいとはならず、最低限「意見文」としての体裁を整えたうえで、さらにプラスアルファの何かが必要となる。文学の世界のみならず、芸術・科学の世界において本人の死後に評価された作品や説というのが多く存在する。③勉強をすることによって自分、周囲を客観視できるようになる。評価されるために文章を書くわけではなく、文章を書く練習をすることによって「文章を書くスキルを身に付ける、磨く」「客観的視点を養う」という2点が重要で、それをきちんとクリアした生徒達は本当に成長したなあと嬉しかった。同時にちょっとしたことに気付き疑問を持ちつつも、空気を読めるからこそおそらく思ったことの半分、いやそれ以上をお腹の中にためているであろうタイプに対しては「色々と納得がいかない出来事が世の中には存在し色々とストレスがたまることもあるだろうけれど、君達のそのまっすぐさを生かせる場所が必ずあるよ~。」と心の中でエールを送った。まだまだ10数年しか生きていなくてもきちんとした考え方をする生徒達を目の当たりにすると本当に勉強になる今日この頃。

2017/08/22 15:17

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迷信

「迷信」とは読んで字のごとく「信じることを迷うこと」で、人々に信じられていることのうちで合理的な根拠を欠いているもの。世の中にはいわゆる「迷信」というものが存在し、それを自分の生活においてプラスになるような事柄、しかも実害がない事柄であれば信じるのは自由だと思うけれど・・・。昨夜、実家の母と電話中に次のようなことを聞かれた。「いい夢って人に話したらダメだったけ?それともいいんだったっけ?悪い夢は話した方がいいのだったかなあ?」とぶつぶつ。思わず「夢を話した方がいいか悪いかは迷信だから、話したかったら話す。自分の中でそっと温めておきたいならそうしたら?」と提案したところ咳を切ったように話し始めた母。結論を言うと夢なので若干支離滅裂なところはあったけれど(200キロほど離れた地点まで自転車で普通に行くなど…笑)、良い夢だった。つまり「良い夢を人に話すと逆夢になる(逆になる)」という迷信を気にしていたのだ。良い夢が叶うかどうかは別として、母の置かれた状況を考えると潜在的に気にしていることが良い方向に進んでほしいという願望が夢に現れただけのように思える。さて、ではなぜ「夢」を人に話すのが良い、悪いといった迷信が出来たのかというと「話す」≒「放す」に通じることからだそうだ。そのため「悪い夢は話す(手放す)」「良い夢は話さない(放さない)」という迷信が広まったようだ。でも敢えて言いたい。良い夢を「放す」ことによってあちこちに夢(願望)をアピールできる→協力者が現れたりチャンスが巡ってくるに通じるのでは?と。だから自分自身は寝ている時に見た夢(良い夢、悪い夢共に)はもちろんのこと、顕在的に持っている夢(願望)はガンガンと人に話している(笑)。なにはともあれ、あまり「迷信」にはとらわれないのが一番。

2017/08/21 02:07

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(教育産業における)暴力・体罰

金曜日の一番遅い時間のクラスが終了後、お迎えを待っていたY君と5分ほど雑談。ひょんなことから「指導者が生徒に暴力をふるうことについて」という話題になった。二人とも「絶対に暴力はふるってはいけないと思うから、自分から相手(生徒)には暴力はふるわない。でも逆に指導者から暴力を振るわれたとしてもそこに本当に愛情があり、お互いに信頼関係があったら相手を恨まない。」という意見で完全に一致した。Y君は指導者からの暴力や体罰という経験は幸いなことにないらしいが、ん十年前に中学生時代を送った自分はというと…正直言って何発殴られたか分からない。体罰のみならず「お前帰れ~!」といったいわゆる言葉の暴力?を受けたことも数知れず(苦笑)。当時は教師(指導者)が生徒に体罰は当たり前の時代、中には「連帯責任」という理由でクラス全員が拳骨を食らうということなんて日常茶飯事であった。でも先生のことは全く恨んでいないし、恨むどころか「お前帰れ~!」の先生には本当に可愛がっていただいた。なぜ恨まないか?ある意味、暴力や体罰で先生の権威を示さないと生徒が荒れるという風潮があったのも事実でそれらを認識していたこと、なんと言っても先生に愛情があったと感じるから。そんな昔のことを思い出しながら話していた翌日(土曜日)に、旭川の塾内で男性塾講師が生徒に暴力をふるって逮捕されたという残念なニュースが飛び込んできた。生徒に暴力をふるってけがを負わせるなんて言語道断!本当に愛情と信頼関係があったならば暴力という形をとらなかったのでは?と残念でならない。もしかすると今までに何度も口で注意していたのかもしれない(この辺りは当事者でないと分からない)が、口で言っても伝わらないならば親に連絡、それでも改善されないならば退塾を促す、諦めて放っておく…しかないのかなあなどといろいろと考えさせられる出来事だった。

2017/08/20 15:39

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