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小さな国語塾のつぶやき

3つの情報

「3つ一致すればおそらく同一という考えを昔から持っています。腐っても理系です。」という、なかなか興味深いことをおっしゃるのは理系のブロ友様。へ~っ、そうやって実験や理論を検証していくんだあああ、具体的には??などなど聞いてみたいことは山ほどあるのだけど居住地が遠方、文章ではなく直接聞いてみたい!という願望が自分自身の中にあるため、チャンスが訪れたときにぜひ直接会って色々とレクチャーしていただこうと勝手に妄想している。自分自身はというと逆に「一人の作家や人物、時代、事柄について3つのことを知っていると怖いものなし(まあ合格点)」と思っている。昨日のブログにも書いたように「松尾芭蕉」=①「人生=旅」②「古人(李白、杜甫、西行、宗祇)」を敬愛している③②と関連して「奥の細道」の中の「平泉」では無常観をうたっている。などなど知っておくと「松尾芭蕉」に関しての論説文や融合文などに対応しやすい。さて、先日授業終了間際に中間テストに向けての勉強をしていた生徒に「何か質問はない?」と聞いたところ、あれやこれやと素直に質問してくれた。その質問の中には山上憶良の歌についての解釈文(日本語)の意味が分からないものがあった。一応、分かりやすい日本語にさらに翻訳し「この言葉だと○○のように解釈できるけれど、この場合は言葉通りの○○ではなく△△だよ。」と説明したところ納得した様子。そもそもが山上憶良についての情報が皆無、せいぜい①奈良時代の歌人程度の知識だけ(歴史で習っているはず)なので専門家が美しく翻訳した、その意味が分からないという事態が!そこで、目の前の歌についての解説の後に「②山上憶良は男女の仲についての歌は少なく、子供を想う気持ち、愛情を歌ったものが多く残されている。あと、③有名な作品としては貧窮問答歌を覚えておくように。後日子供を想って歌った作品をお母様のメールに送信する、貧窮問答歌は社会の資料で調べるように。」と伝えた。一つの物事、一人の人物について3つの情報を集めるということはかなりの手間暇といった労力を要するけれど、だからこそ記憶に定着しやすい。齋藤孝先生が「3は神の数字」とおっしゃっているが、確かに・・・2よりも最低でも3の情報は欲しいなあと思う今日この頃。

2017/10/28 17:09

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情報を読み取ること!

10月の後半ともなるとだんだん寒くなる北海道。そろそろ冬支度をしなくては!マズイ!何年も着た切り雀・・・そろそろ新しい洋服を買わなくては、と思う今日この頃。とはいえ基本的にあまり外出はしないタイプなのでもっぱら洋服はネット頼み。キーワードを入れたり、いつも利用しているお店のHPをのぞき、色やサイズで絞っていく。ある意味こういう絞り込みは勉強においても無意識で行っている、言い方を変えると行うべき作業だと言える。さて今週の中学生クラスでの出来事。「□□とはどういうことか?書き出しを□□は・・・に続けて○○、△△という言葉を使って50字以内で書け。」という問題があった。□□と○○という語句は同じ段落にあったのだけど△△という言葉が近くにはない!生徒達はどうしたか?①空白のまま・・・②△△という言葉を自分なり解釈して書く、の二通りに分かれた。当然①はもちろんのこと②も解答としては成り立っていなかった(意味が全く通じていなかったから)。実は△△という言葉は傍線部よりも少し離れたところキーワードとして存在していたのだが気づいてない生徒たち。あれほどキーワードにチェックと言っているのに~(怒)。また別の問題では「松尾芭蕉は草庵における隠棲と( )に生きた。( )にあてはまる、隠棲とは逆の意味の一語の漢字を同じ段落から抜き出して書きなさい。」という問に関して、リアルタイムで学校で松尾芭蕉について学んでいる中三なら楽勝と思っていたのだが・・・大半が沈没。なぜ?!あれほど芭蕉といえば「旅=人生」と念押ししたのに・・・。目の前のテキストではなく別の機会に学んだ知識や情報をフル活用すれば瞬時で(旅)と分かるはずで、仮にそれが分からなくても本文に「旅」とあるので入れることが出来はず。つまり彼らの中では目の前の、傍線の近くだけに情報を探している。見つからなければ幅広く探すべきで、その際に当てずっぽうに数うち当たるのではなく、キーワード、接続語チェック、問に使われている言葉をヒントにどの辺りに答えがあるかを検討すべき。この基本を常日頃からあの手この手で伝えているのだがまだまだ定着していない様子。どうやったら定着するか思案のしどころだ。

2017/10/27 14:06

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曖昧な記憶力・・・

昨日は楽しみにしていたラジオ生出演!いや~本当に最高だった。と同時に自分の記憶のあいまいさ、厳密にいうと記憶の振り分け方に呆れるやらびっくりすした!いつものように少し早めに局に入り待機していると、さわやかな中学生たち数人がラジオ出演を終え、廊下をぞろぞろと歩いてきて全員が「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてくれ、気分はハイになった。が、が、が、その数人の中に実は知人の息子さんがいたとは全く気付かなかった(汗)。いよいよ番組が始まり、当初の予定通り「浮世」の言葉の意味、「浮世絵」の話題になった時、担当者M様が「去年、私は帯広美術館で浮世絵を見ました。歌麿展が開催されており昔の美人の絵が沢山ありました!着物が精巧に描かれていて素敵でした~!」とおっしゃった。それに対して「え?歌麿展があったんですか?知らなかったです~~~!知ってたら行ってたのに。」と答えた・・・。とっても優しいM様は「帯広で浮世絵展がある時はぜひお知らせしますね~。」「ハイよろしくお願いします。」(お互いにニッコリ~)。楽しく番組を終えて帰路に就いた瞬間に「あれ?そういえば見に行ったような気がする。歌麿展・・・。いや、気だけではなく行ったはず。今思い出した!夏だったような・・・」とようやく記憶がよみがえってきた。そう、要するに浮世絵は好きだけれどその中で「美人画」の優先順位が低い自分にとっては「歌麿展」は記憶の彼方に追いやられていたのだ。喜多川歌麿ではなく東洲斎写楽や葛飾北斎ならば一生忘れないはずだけれど。歌川広重ならば微妙、喜多川歌麿は記憶の彼方・・・。さて、帰宅後に知人のO様から「今日は息子がラジオ局に職場体験に行っており、先生をお見かけしたようですが?!」というメールが。え?K君いたの?全く気付かなかった・・・。初対面の中学生たちをガン見してはいけないとチラッとしか見なかったからか?でもあちらは気づいているということは、やはり自分の記憶があいまいだという証拠。マズイマズイ、まずすぎる・・・ボケが始まったか?ボケ防止のためにもテキストの予習や資料作りにますます精を出そうと誓った一日だった。

2017/10/26 02:07

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真理は色褪せない

「歴史は、人の営みの積み重ねです。だから、いつの時代でも似たようなことをするわけで。」これはいつもお邪魔させていただいている「ひさぺー先生」の昨日のブログの一節。確かに・・・と思っていたところ今度はこれまた、いつもお邪魔させていただいている花ゆき先生のブログが目に飛び込んできた。「花ゆき」先生のブログ(10月24日記事)を読んだときに瞬間に鎌倉時代の作品「徒然草」(作者は吉田兼好)109段の「高名の木登り」が頭に浮かんだ。高名の木登りの現代語訳は次の通り。「名高い木登りという男が、人に指導して、高い木に登らせて梢を切らせる時、たいそう危なく見えるうちは何も言わず、木を下りる時軒の高さほどになって、『しくじるな。心しておりろ』と言葉をかけましたのを、『これくらいになれば、飛びおりても無事におりられよう。どうしてそのように言うのか』と申しました所、『その事でございます。目がくらくらするほど高く、枝が危ないうちは、自分自身の恐怖心がございますので、何も申しません。失敗は、安全な所になって、必ず起こる事でございます』と言う。身分の低い下賤な者の言う事ではあるが、聖人の戒めにかなっている。蹴鞠も、難しい所をうまく蹴り上げた後、余裕だと思ったら、必ず落ちるものだとか申すそうでございます。」花ゆき先生の師匠が徒然草の109段をご存知の上で意識して「お花」の指導用にアレンジしたのか、はたまた偶然にもご自身で気づかれたことをお弟子さんに伝えたのかは分からない。もしも後者だったとするならばひさぺー先生のおっしゃるように「いつの時代も似たようなことをする(思いつく)・・・」と言える。どちらにしても物事の本質というものは決して色褪せず、普遍なのだろうと思う。だからこそ、先人の教えに自分自身は敬意を払っており常に学ぼうとしている。むろん、すべてが正しいというわけではないけれど「あれ?これっておかしいよね」という批判、批評的視点を養うという訓練にもなっていると言える。

2017/10/25 11:58

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ラジオテーマは「浮世」

明日は月に一回のラジオ出演の日、今から楽しみでワクワクしている!明日のテーマはずばり「浮世」という言葉。先月、次のラジオテーマについてのアイデアを!と呼びかけたところ国語塾のブログの背景が浮世絵師、葛飾北斎の富岳三十六景であることに対しての感想+ラジオテーマとしてはどうかという貴重なご意見をいただいた。「浮世絵」というと日本人の大半は具体的に作品を頭の中にイメージできるけれど、実は意外と「浮世」という言葉そのものを理解している人って少ないのでは?とのことで今月のお題は「浮世」という言葉に。(A様、ご意見・ご提案有難うございます)。最近「浮世絵ブーム」、厳密にいうと葛飾北斎親子ブームのように感じる。現在、大阪のあべのハルカス美術館では「北斎展」が開催されており連日大混雑だとか。直木賞作家である朝井まかて氏が「眩(くらら)」で北斎の娘、応為をり上げ、「百日紅(さるすべり)」をいうアニメ映画でも主人公は北斎の娘、応為、最近ではテレビドラマにも。先日ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は「浮世の画家」という作品を著している。ご周知のとおり日本の浮世絵は昔から海外でも高く評価されており、海外の有名な芸術家たちは浮世絵から作品のヒントを得ている。では、浮世絵とはそもそも何なのか?【江戸時代に発達した風俗画の一様式。遊里と芝居町に代表される都市の歓楽境,いわゆる「浮世」に取材し、主要な表現手段として大量生産のできる版画形式を用いた点に特色がある。】(ブリタニカ国際大百科事典より抜粋)。「浮世」とは、一言で言うと「憂き世(つらい世の中)と浮世ふせい(はかない世の中)の二つの意味が重なり合った語」つまり「つらくはかない世の中、現世」☞江戸時代になると「はかない世の中ならば楽しく生きよう」という思想も芽生え「享楽的で色事(男女の仲)を楽しむ」という意味も加わったらしい。つまり「浮世絵」とは先にも書いたように「人々の暮らし、男女の仲」などを版画で表したものとなるか。本来の意味内容うんぬんよりも色彩や技法の素晴らしさがクローズアップされて浸透しているけれど明日は本来の言葉「浮世」の焦点を当てる予定。ぜひチャンスがあれば聴いていただきたい。(FMウイング帯広のHPより、ネットで聴くこと可能とか…ちなみに自分自身は恥ずかしくて聴いたことがないけれど。)

2017/10/24 17:08

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虎視眈々

世の中には感性が豊かな人はいるもので・・・。最近素敵だなあと思う、素晴らしい感性をお持ちの方が「花ゆき

」先生。お花の先生をなさっており、感性が豊かだから芸術的な仕事をなさっているのか、はたまた仕事を通して感性が磨かれたのか?個人的には前者だと思っている。なぜなら見た目の芸術のみならず、四字熟語の発音から受ける印象を上手にご自分のものとして解釈する姿勢、コメント、コメント返信の文章そのものが素晴らしいの極致だから!お見事としか言いようがない。ユーモア、思いやり、愛が沢山沢山詰まっている。さて、「花ゆき」先生は「虎視眈々」をの「音」が素敵だとおっしゃる(10月22日付のブログ)。なるほど、ひらがな表記されたものを見ると本来の意味を外れ、むしろ逆の意味のような印象さえ受ける。「虎視眈々」とは意味は【虎が獲物を狙って鋭い目でじっと見下ろすように、おのれの野望を遂げるため、じっと機会を狙っている様子。 「虎視」とは、トラが鋭い目であたりを見わたすこと。 転じて、雄大な志を抱いて静かに情勢をうかがうたとえ。 「眈々」とは、恐ろしい目をしたトラが下を見下ろしているさま】。でも、ひらがなに置き換えると「眈々」が「淡々」に変換された状態で脳内にインプットされる(笑)。意外とそれでもいいのかなあとさえ思えてくるから不思議だ。静かに情勢を伺いつつも「淡々」と目の前のことを一つずつ一つずつこなし、さらにはそれを周囲には悟られないような自然体・・・・うーん、素敵すぎる~!と想像すると思わず笑みがこぼれる。ちなみに自分自身はというと「虎視眈々」(虎)どころか「先生、さっきの目は獲物を狙うライオンの眼です。怖い、怖すぎます!」(おおっ、百獣の王に例えられた!)と複数の可愛い可愛い男子生徒に言われたことも(汗)。怖がらせてごめんよ~。「眈々」ではなく「淡々」を目指そうと思い至った次第。

2017/10/23 02:26

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「神出鬼没」

「神出鬼没(しんしゅつきぼつ)」というタイトル入りの名刺が突然引き出しから出てきた。これは学生時代に友人たちと一緒にゲームセンター内の名刺作成ができる機械で作ったもの。サンリオのキャラクターの台紙に本名と「神出鬼没」という言葉が入っており、懐かしいなあとしばらく見ていた。なぜ当時「神出鬼没」という言葉を使ったか、理由は二つ。①行動が自由自在で、居所などの予測がつかないから《鬼神のようにたちまち現れたり消えたりする意から》という意味が自分と重なったから(当時バイトをいくつも掛け持ち、携帯電話があまり普及していない頃だったので友人たちとなかなか連絡が取れなかった)。②前後が対比になっている漢字の組み合わせが面白かったから(何となくモグラたたきのイメージがあった・・・ポコッと出て、かたやポコッとへこむみたいな☜今から思うと罰当たりな話だ)。さて、改めてこの言葉を見ると実際の行動範囲のみならず、「神出鬼没」は人間の内面そのものを表しているなあと感じる。一人の人間には最低でも二面性があり(人によってはもっと多いか)、いわゆる「神」(善)の部分と「鬼」(悪)の部分がコインの裏表のようにセットで共存していることを表しているように思うのだ。さらには人間には「鬼神」のような潜在能力があるのかも?と思わせてくれる。社会生活を送るうえでは基本的には「神出鬼没」の「神」の部分を優先しているけれど、いざという時には「鬼」(悪)「鬼神」(超人的な能力)を発揮するのかなあと。日本の昔話などでは「鬼」=(悪)なので退治されるべきものとして描かれているが、「鬼神」(きじん,おにがみ)」とは、普通人の耳目ではとらえることができない超人的な能力をもつ存在のことをさす。つまり鬼のように超人的な勢いで何かに向かって努力すれば信じられないような意外な結果をもたらすこともあるかなあ?と楽しく想像している。受験生にとってはもう、あとがない・・・、たったの2,3か月しかないという気持ちが強いだろうし、実際に日がない。こうなったら「神」を没して「鬼」を出して頑張るのが一番だろう。

2017/10/22 17:49

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思いやり

昨日のブログタイトルが「思い込み」、今日のブログタイトルが「思いやり」・・・となんだか「思い」シリーズのようだけれど、それはたまたまの偶然で内容は全く違う。さて、ここからが本題で、いつもお邪魔させていただいている田中章弘先生のブログ内の10月15日付け、20日付の記事には考えさせられた。特に20日付の記事・・・。記事の中ほどから「コメント」について記載されており、その内容に関しては賛否両論あると思うのだけど(自分自身は中立といった感じか)、田中先生の「思いやり」というものを強く感じる。国語塾のブログ自体は受験生がらみの人間が書いているわけではなく、「仕事兼趣味」のような立ち位置なのでコメントは長かろうが短かろうが大歓迎で、コメントをいただけること自体がとってもありがたい。コメント返信に関しても読んでいただけると分かると思うけれど、毎回ワクワクしながら喜んで書かせていただいている。とはいえ①ブロガーそれぞれに事情があるのでそれを考慮して行動すべきであること。②本当の「思いやり」とは?と考えた時に自ずと①が可能になるのではないかと感じる。長いのが悪いわけではなく「思いやり」がそこにあるかどうかだろう。これは日常生活にも言えることで・・・。例えば知人や友人が入院したとする。その場合、病状や状況によってお見舞いに行くべきかどうかを判断すべきだと思う。弱った姿を見られたくないようだと判断すればお見舞いには行きつつも見舞いの品と手紙をナースステーションに預けるだけ、意外と元気で退屈している様子だと(足を負傷して自由には動き回れないけれど好きなものは食べたり飲んだりできるような場合)は見舞いに駆けつけた方がいいと判断する。田中先生から以前にコメントをいただいたことがあり、そこには本当に本当に暖かいお人柄、思いやりが感じられ(直木賞を目指している生徒に対して、もったいないようなコメントをいただいたこともある)、15日付の記事では先生のお人柄が存分に表れているなあ・・・と思う。自分は目の前の生徒たちは我が子同然に接し、可愛がっているけれど(生徒たちは迷惑か?笑)・・・田中先生の域には到底及ばない。

2017/10/21 03:25

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思い込み

人間ってつくづく自分にとって都合よく記憶を操作するのだなあと思う。むろんそうすることによって「生きやすく」なる、ある意味において自己防衛能力ではあるのだが。先週、平安時代や鎌倉時代の思想や時代背景について熱く熱く語った後に演習(平安時代の作品)を行い、今週は平家物語の演習「木曽殿の最期」を張り切って行った。ところが・・・某クラスで4人中2人は「楽勝!これ、先週習ったばっかりだよね」とスラスラ解いてパーフェクトだったのだが、残り2名はさんざん迷った挙句自分の感情を入れてしまい残念ながら半分近く×。「武士は名誉を重んじる」「鎌倉時代≒御恩と奉公≒主従関係」という知識を意識して駆使すれば決して間違わない問題だった。誤答として選んだ選択肢の内容はまさに彼らの性格、優しさを表しており、思わず苦笑い。「君が優しいのはよく分かっているけれど、この時代と今とは常識や考え方が違うからしっかりとその違いを覚えておくように」と強く強く念押しをした。また、漢字ワークの宿題をチェックしていたところ・・・・自己採点時に〇をつけているけれど実は間違いというものが続出。本人なりに一生懸命採点をしているのだけど、「合っている」と自信を持っているため正しい答えを見ているつもりで実は全く見ていないということ。これが最初から全く手も足も出ずに書けなかったという漢字ならば必死で正しい答えを写すのだろうが。例えば「教室を掃く」の読みを「ふく」(正しくは「はく」)、友人からのチュウコクを「注告」(正しくは「忠告」)、「アツい夏の一日」を「熱い夏の一日」(正しくは「暑い」)といった具合に本人なりに一生懸命考えており、深読みすれば意味が通じなくもない(苦笑)漢字を充てている。思わず「ああ、○○は教室掃除のときには雑巾であちこち拭くことが多いのかなあ。確かにアドヴァイスって誠意がこもっているというよりも上から目線の「注意」的な要素が多い!夏は高校野球などなど「熱い」闘いが繰り広げられるよなあ」などと想像すると笑える。同音異義語を自分で頭の体操として考えるという場面では最高だが、国語として解く場合は正しい知識で対応するよう今後も生徒たちにしつこく伝えようと思うエピソードだった。

2017/10/20 13:32

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頑張り屋さんの姉弟

昨日の小学生の授業における出来事。以前に読書感想文を2本頑張って書いた姉弟のことを紹介したことがあるが、本当に二人とも頑張り屋さんで姉弟で切磋琢磨する姿が素晴らしい!姉が小学6年生、弟が小学4年生で通常は別のクラスなのだけれど冬場だけは習い事の関係上、二人は同じクラスになる。すると、頑張り屋さんの弟の方はお姉ちゃんや別の上級生たちに追いつこうと必死で高いレベルのをやってみたいと要求し、姉は丁寧に弟に指導してくれる。具体的に言うと先週までに小学6年生には対義語プリントを3枚分演習したりカルタをして学習したのに対し、4年生にはプリント1枚分のみだったけれど結局は彼に関してのみ昨日は6年生と同じ枚数のプリントで学習することに。一般論として小学4年生男子は分からない問題が多くなると「嫌だ、やーめた」となるケースがほとんどだけど昨日は弟が難しい対義語を目の前にして止まっていると、姉がすぐさま上手に助け船を出してくれて正しい答えに導いてくれた。決して答えを教えるのではなく考え方を指導しており、素晴らしいなあと思いながら見ていた(☜しかも、授業が始まる前の出来事。つまり二人は授業が始まる前に自主的学習をしていたというわけ。)例えば「楽観」⇔「悲観」という問題では「楽観・・・・には楽しいという字があるよね?じゃあ、楽しい気分の反対の漢字を含むのを探そう!そうそう、楽しいの反対は悲しい。しかも下の字がそれぞれ同じだし、これで間違いないよ」といった具合に姉が弟に指導している・・・。思わず6年生に「代わりに今日の授業をやって~。」と頼もうかとすら思った(苦笑)。こういう生徒たちの頑張りぶりや成長ぶりを目の当たりにできるのは最高の幸せだ。

2017/10/19 03:30

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