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小さな国語塾のつぶやき

高い授業料

イギリスの歴史家、トマス・カーライルは次のように言ったという。「経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる」。まさに名言だなあとつくづく思う。頭で理解する(理解したつもり)と実際に経験したことを比べると、断然に後者の方が自分の身になっている。しかも、身に付いた経験には痛みや苦しみが伴うことが多く、だからこそ「のど元過ぎれば熱さを。。。忘れない!!!」となる。「あの経験があったから」と思えるのはだいぶん時間がたってからだ。この「授業料」というのは実際の「お金」のみならず「時間」「労力」「信頼」などなどを含む。極端な話、授業料が「お金」だけならば「高すぎる」とは言わない、「お金」は回収可能だから。それ以外の「時間」「労力」「信頼」といった回収不可能に近い物が存在するから「授業料が高すぎる」のだ。最近、いろんな職種の方々と話す機会が多く・・・自営業やそれなりの地位を築いた方々は皆、口をそろえて言う。「いろんな失敗があったけれど、高い月謝だったと思うようにしている」「高い月謝を払ったよ」と。さらに・・・「陰陽師先生も本当に本当に修行、勉強(経験)したね!そろそろ次のステップへ行けるね」と。(☜素直にこれらの「お世辞」を鵜呑みにする自分…苦笑)。言い換えると「失敗をしなければ、高い月謝を払わなければ、成功はなかった(しない)かもしれない」。※この場合の「月謝」は比喩的表現であり、厳密にいうと「自己投資?」「損害?」「失敗?」的な意味。ある方もおっしゃっていたが、我々が人様から指導を受けることに対して「お金(月謝)」を払うとは、先日達が費やしたであろう膨大な「時間」「労力」「信頼」を分けてもらうことに対して「お金」を払っているといって過言ではないだろう。机上の勉強もしかりで、結局は「自分で経験」≒「自分で考える」「自分で解いてみる」ことをしない限りは絶対に身に付かない。どんなに素晴らしい指導者から直接指導を受けたとしても結局は「やってみる」のは自分自身。本来ならば「人に教えもてらう」よりも何度も何度も失敗をして試行錯誤して自ら「自分にピッタリ」の方法を見つけることこそが「本物の知識」として身に付く。ただし「本物の知識」を追い求めてばかりでは迫りくる「入試」には間に合わなくなるので、まずは先達やプロから指導を受けてそれらを「自らの物」とするべく努力するのがベスト。

2018/04/10 14:58

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