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小さな国語塾のつぶやき

小林秀雄のエッセイ「人形」

小林秀雄の文章と言えば、高校生にとっては「難解」というイメージが強いかもしれない。実際、自分自身の中で、小林秀雄≒難解という図式が長年払拭されずにいる。さて、そんな彼だが決して難しくはない・・・けれど考えさせられるエッセイがある。小林秀雄が昭和三七年(1962年)10月、「朝日新聞」に発表したエッセイ「人形」である。内容は次のような物「大阪行きの急行の食堂車で、私の前の空席に上品な格好をした老夫婦が腰をおろした。細君が取り出したのは、おやと思う程大きな人形だった。背広を着、ネクタイをしめているが、しかし顔の方は垢染みてテラテラしており、眼元もどんより濁っていた。妻ははこばれたスープをまず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。行為の意味はもはや明らかである。列車の食堂車で偶然同席した老婦人は、戦争で一人息子を失い、正気を失った人のようだった。息子の代わりにあてがわれた人形に、ままごと遊びのように食事の世話をしている様子が描かれている。その後、偶然同席した女子学生も一目見て事情を察し理解できることだった」。エッセイの最後は「異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えぱ、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。」と結ばれている。この文章を何度読んでも深く考え込んでしまう。相手のことを想像することによって今どんな行動をとるべきかを判断することこそが作者である小林秀雄と女子学生の優しさなのだ。もし、自分自身の目の前でこのような光景が繰り広げられたとしたらどうか?このような行動をとれるか?と聞かれるとはなはだ自信がない。少なくとも相手に対して余計な質問をしたり露骨に怖がる?ような態度はとらないとは思うが(思いたいが)それでも怪訝な表情をしてしまうかもしれない。相手のことを想像することが、相手の立場を考えることであり、それがいい意味での「空気を読む」に繋がるのかなあと思う。どうしても自分を中心に考えてしまいがちなのが人間の性、だからこそふと立ち止まって「名文」「名作」「文学」に触れることによって想像力を養うことが大切だろう。さて、たまたま手にした作品やテキストやテスト、教科書で読んだ作品が難しく感じると、その作品の作者を敬遠してしまいがちで、敬遠されがちの代表すべき人こそが小林秀雄だと思うけれど、小林秀雄の「人形」というエッセイは本当に短くしかも内容が深いのでお勧めである。

2018/03/25 17:42

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