[ログイン] 便利につかおう![新規会員登録] [パスワードを忘れた方へ]
掲載されているスポットは営業時間の変更や休業となる場合があります。イベントについては延期や中止となっている場合がありますのでご注意ください。
  • スポット情報へ
  • 090-4830-7204

小さな国語塾のつぶやき

国語教育≒人間教育

考えても分からない問題はある程度の時間で切り上げて、答えを見る☞解説を読み、理解する☞解答を写す☞解法を覚える☞何度も反復するというのはどの科目にも共通する勉強法だろう。最近はこのような勉強法を提唱する人が多いだろうし自分自身もその一人。ん十年前は「自主性」という言葉を勘違いして、ヒントもろくに与えずにただただ「考えろ」「自分で」と言い放ち、長時間にわたって生徒を放置するという指導者もいたけれど(陰陽師が中学時代に通っていた英語教室の指導者がこのタイプだった)。でも、もともと知識のストックがない状態ではどうやって解法を導き出すというのか?ある程度の知識のストックがあってこそ、いろんな知識を組み合わせることが可能になる!と言いたい。とはいえ、答えを見る☞解説を読み、理解する・・・・何度も反復という一連の作業を一人で完璧にするのは難しい。下手すると「考える」ことをせずに安易に答えを見て、分かった気分になって写して終わりと言うことにもなりかねない。その点、指導者がいる場合は「この問題はヒントを伝えれば自力でできる」「この問題は明らかに本人の能力を超えているから解答を示す」といった見極めができるのが利点だろう。さらには来国語の記述に関してはこの方法をとることによって①チンプンカンプンだった論説の「要旨、主題」が分かる②素晴らしい先駆者の思想や考え方に触れることによって自分自身が成長できる、という2点の良いことが加算されると思う。ほかの科目だと「へーっ、そっかあ。そうなんだ」で終わりがちだけれど国語の場合はさらにプラスアルファ先に書いた2点のオプションがあるので個人的に多くの科目の中で「国語」が好きだ。いくら「好き」とはいえ「答えがはっきりしない」ことがあり「難しい~~~」と感じることが多かったのも国語が一番だったけれど。さて、中学生用テキストの中に「広い意味での国語教育がそのまま人間教育でもあった」(阿部昭「エッセーの楽しみ」より)と言う文章があり、この部分を分かりやすく説明せよという問いに対しての答えが「学校教育以外の生活の場で言葉の遣い方を教えることが、同時に人としての在り方を教えることになるから。」だ。この問題に関しては模範解答を生徒に写させたうえで解説を行った。と同時に生徒ともども「本当にそうだよね~~、この作者の言う通りだよね~~~。だから国語って大事なのよね」と思わず受け売り状態(苦笑)で盛り上がった。下手な解説を付け加える必要がなかったというべきか。国語教育≒人間教育と言うことを今後も肝に銘じていこうと改めて思った文章であった。

2018/03/21 21:38

コメントするには会員登録後、ログインが必要です

ようこそゲストさん
「プッシュ!」でまちを応援しよう!

「プッシュ!」ボタンを押すとあなたのおすすめのスポット、共感した情報としてトップページに表示され注目度があがります!

「プッシュ!」ボタンを押すと、とんたんが!?

ようこそゲストさん

このサービスをご利用になるにはログインする必要があります。

会員登録されている方はログインして下さい。

会員登録されていない方は新規会員登録(無料)を行って下さい。