めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
皆既月食
昨日1月31日は「皆既月食」とのことで生徒たちは夕方から大騒ぎ。夕方にお教室にやってきた女生徒は「うっすらと月が昇ってるのが見えた!今から見に行こう!」と荷物を置いて100メートルほどダッシュ…コートも着ずに寒い中ダッシュに付き合う羽目になった・・・。夜に来た生徒は「今日のような月は幕末以来だよ!」と教えてくれた。なるほど◯ブルームーン (同じ月に二度目の満月)◯スーパームーン (地球に近い)◯ブラッドムーン (皆既月食)この3点が揃うのはおよそ152年ぶりだとか。前回は1866年3月31日まさに大政奉還の直前、彼は「今年は何か大きな出来事があるかなあ?」とワクワクしている様子。幸い十勝地方は晴れ、生徒たちが帰るころにはきれいな満月、その後少しずつ欠け始め・・・・再び満月へという状態を楽しむことができた。思わず何度も何度も窓から空を眺めたり、挙句の果てには外に出て月を見て楽しんだ!さて、科学が発達している現代では皆既月食が起こる仕組みなどが解明されており純粋に月食を楽しんだり、月からパワーをもらおう~という前向きな気持ちになれる。が、昔はどうだったのだろう?平安時代に成立したと言われている日本最古の物語「竹取物語」はかぐや姫が月からやってきて、月に帰るという話、数多くの歌人が月を和歌に詠んでいる、藤原道長は自分自身の栄華について「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることのなしと思えば」【※この世は自分のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものは何もないと思えるから】と言ったとか。☞月(特に満月)は平安時代の人々にとっては身近なもの、「満月」は縁起のいいものとしてとらえられていたようだ。その「満月」が一瞬だけ欠けてしまうということは縁起がいいどころか、逆に縁起が悪いととらえていたに違いない。実際に平安時代末期の歌人西行は次の歌を残している。「忌むと言ひて 影に当らぬ 今宵しも 破(わ)れて月見る 名や立ちぬらん」(「山家集」より)。この歌は「世間の人々は月蝕は不吉だと言って光にも当たらないようにしているが、私はそういう月であればなおさら無理をしてでも見ようとする。奇人変人の悪い評判が立たなければ良いのだが」という意味になる。実際に平安時代の貴族などは月食の光には決して当たらないように館の中にとじこもって「物忌み」をしていたらしい。でも考えてみれば皆既月食が起こるときには必ず満月になるとも言える・・・。好奇心旺盛の西行の気質、素敵だと思うし現代では不吉どころか「パワー」があると信じられている。時代変われば…、昨日の月のパワーを受けて今日からもファイト。
2018/02/01 14:51
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