めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」
今日11月26日は「いい風呂」の日だとか。数字の語呂合わせからすると成程~と納得。「いい風呂」の日と知った瞬間に江戸時代に十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」に収められている話を思い出した。「弥次さん喜多さんが、小田原で初めて五右衛門風呂に入るという話。五右衛門風呂(釜の底板が浮いている風呂、入るとき底板の上に乗ってそれを沈めて入る)の底板の扱い方を知らない二人は底板を風呂の蓋だと思い込み、どけてしまう。そのまま入ると当然、熱いため・・・近くにあった便所の下駄を履いて入るものの喜多さん、尻からの熱さにたまらず下駄を踏みならしていくうちに釜を踏み抜いてしまい、釜の修理代をふんだくられる。」これを初めて読んだとき大笑いすると同時に、ああもったいない・・・五右衛門風呂を正しく入ればとっても気持ちいのに・・・とも感じた。実は幼い頃、父の生家には五右衛門風呂が保存されており、孫たちの要求に応えて祖父母が五右衛門風呂を一日だけ復活させてくれたのだ。狭いけれど、だからこそ落ち着く何とも言えない風情のあるお風呂であった。さて、弥次喜多さんたちはお風呂の入り方を分からないならば誰かに聞けばよかったわけだが、自分たちで何とか工夫しようとして最後は失敗する(お風呂を壊し修理代を取られる)。それこそまさに「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」と言えるか。この諺の意味は「知らないことを人に聞くのは、その時は恥ずかしいと思っても聞かなければ一生知らぬまま過ごすことになるので、そのほうが恥ずかしい。知らないことを恥ずかしがったり知ったかぶったりせずに素直に聞いて学ぶべきだという教え」。自分自身は素直に?分からないことを分からないままにして適当にするよりも先の諺通り、基本的には人に聞くようにしている。が、が、が、この時に「聞く相手」を選ぶようにしている。人によって言うことが違ったり、下手すると間違ったことを教えられると目も当てられないから。むろん教える側は悪気はないのだろうけれど「聞く相手を間違わなければよかった?」「自分がもう少しきちんと勉強しておけばよかった」などと思うことが沢山ある。何はともあれ迷ったり分からないときは「人に聞く」※ただし、聞く相手を選ぶ!ということを肝に銘じたい。
2017/11/26 22:35
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