めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「地獄に仏」はいるか?
「地獄に仏」という諺がある。意味は「地獄で鬼の責め苦にあっている時に、仏様に救われるように、非常に困った事態に直面しているときに思いがけずも救いの主が現れることをいう」。さて、果たして「地獄に仏」はいるか?個人的には「いる」と断言する。ただし、魑魅魍魎がうようよしている世の中・・・仏はほんのほんの一部だけ、甘い言葉につられてフラフラとついていくと命を落とすことになり、仏になってしまう?!いや成仏できず仏になれないか。話を戻して「地獄に仏」を実感したエピソードが、先日「五里霧中」を「夢中」で駆け抜けたという例の「峠」での出来事。前回はA県からB県に向かうために峠を越えるときに「五里霧中」になったけれど、後日にB県からA県に向かうために早朝、まだ夜が明けきらない午前4時に峠下で地図を広げていた。峠道を迷うとA県どころかC県に行ってしまう可能性があるため、真剣に地図とにらめっこ。迷わずにA県に入れるならば友人3人との待ち合わせ(午前7時30分)よりも1時間以上早く着くことができる。つまり迷うことを想定して早めに出発したのだが・・・。周囲から見るととっても怪しい光景、峠下で車中で地図とにらめっこしている人がいるなんて・・・。すると窓をコンコンとたたく音。ふと見ると知らないおじさんが立っている。「どこまで行くの?」と聞かれたので「A県の○○港です。」と伝えると「ちょうど自分もA県まで行くのでついておいで」とおっしゃる。迷ったけれど結論を言うと後ろからついていき、途中無人のパーキングエリアで缶コーヒーをご馳走になり(☜おいおい逆だろう、こちらがご馳走すべきだろう!)「これから、僕が合図をする場所で、君は右に進んでひたすらまっすぐ行くと○○港に着くから。僕は左に行くけれどね。」とのこと。助かりました!おかげで迷うことなく午前6時30分に○○港に到着!あの時はまさに「地獄に仏」だった・・・。実はこのようなエピソードは数知れずあり、それゆえに目に見えない偉大な力、サムシンググレートなるものには畏敬の念を抱いており、昔から言われている諺の数々を実感している。とはいえ、今から思うと本当に危険と背中合わせで恐怖心しかわいてこない。今ならば前日にB県入りして宿泊すること間違いない!若気の至りというか無謀なことばかりしていたなあとつくづく思う。以来、人(特に若い無謀な子たち)が困っていたら手助けしたい、仏になりたいなあと心掛けている(実行できているかどうかは怪しいけれど)。
2017/11/11 03:40
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