めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
読書感想文審査
今日の午後に、預かっていた読書感想文の原稿を図書館に届けてホッとしている。締切期限はまだまだ先なのだけど中学生たちが必死で書いた読書感想文の数々を預かるのはかなりのプレッシャーだった。ようやく資料をお返し出来て一息ついたという感じ。最終審査は12月中旬で、ほかの審査員の方々と話し合いながら最終決定する。さて何十年もオペラ講座を受講している友人から次のようなメールが来た「オペラ講座で、熱の入った先生の授業を受けてきました。新聞によく講評を載せている音楽評論家がいますが、そういう人は文学の専門家が多く音楽面で??という文章の人が多いようです。先生は講義するオペラの台本、楽譜を読み込んで資料を作りますから細部まで頭に入っています。音楽家や演奏家の立場として物を考えることができますので例えば講評の中で立派な演奏だったが、一部に乱れがみられたというような文章には怒りで体が震えるそうです。演奏家からしたら一部ってどこ?と知りたいでしょう。具体的なことを書かず批評するのは卑怯だと言いたいようです。オペラに限らず感想文もそうでしょう?大変な仕事をなさってますね。」と。彼女が思ってくれているほど大変ではなくむしろ楽しい作業だけど、彼女の言い分は理解できる。つまり大人、指導者、審査員たちは次年度の目標や書き方を「具体的に」生徒たちに示すべきだと思う。また生徒たちも「具体的な感想」を意識して書くといいだろなあと思うのだ。どんなふうに「すごい」と感じたのか?などなどまさに「具体的に」表現するともっともっと深い文章になるだろうと言いたい。複数の学校から応募されており、おそらく学校によっては「読書感想文の書き方」といった指導が入ったように感じる。なぜなら「印象に残った場面は〇つあります。一つ目は。。。。二つ目は。。。。」という書き方の文章が目立ったから。それはそれで素晴らしいので、来年度からはさらに踏み込んで「具体的にどう感じたか?」「具体的にどんなふうに感じたか?」という「具体性」を入れるよう学校側で指導してほしいと思う。どの文章もひたすら場面説明、そしてその後に「かわいそうだと思った」「すごいと思った」で終わっているのだ。正直言ってもったいない!例えば「場面説明+主人公の勇気は誰にもまねできないぐらいだ。自分だったら絶対に無理であきらめるだろう」といった具合に「具体的に」書かないと読み手に感動が伝わらない。。。と伝えるべきだと感じた。審査や指導する側が「具体的に書こう」といったところで通じない、「具体的」という言葉を使っているだけど実はあやふや、抽象的。つまりは指導者側、読書感想文を書く側ともに「具体性」を意識することが大切か。
2017/11/09 22:09
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