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小さな国語塾のつぶやき

「一番」と「一流」

以前に、ある文章で「一番ではなく、一流を目指せ」というセリフを読んだことがあり、それがずっと頭に残っている。そもそもが「一番」と「一流」の違いを考えたことほとんどなく、自分が学生時代は当然「一番」「トップ」を目指して頑張っていた。でも確かに「一流」と「一番」とは違う・・・、明らかな差異は「一番」とあは母体数があってその中で序列をつけた場合のトップと言えるけれど「一流」とは漠然としているという部分だろう。「一番」を目指し「一番」になることは難しく、貴い!それ以上に「一流」になることは難しい・・・なぜなら絶対的な基準がなく、人が「一流」と認めても自分の中では「まだまだ…」ということは日常茶飯で逆もしかりだから。つまり「一流」とは常に求め続ける道なのか。「一流」の定義は人それぞれだろうけれど、自分の中では中島敦の「名人伝」とオーバーラップする。あらすじは「紀昌は弓の名手を自認していたがその道で一番になりたいと思うようになり弓の名人と噂される飛衛のところに行き弟子入りする。師匠の言われたままに修行しますます腕を上げていく紀昌は自分が一番になるには飛衛が邪魔だと考えるようになり密かに倒す機会を狙っていた。そして偶然路上で相対し紀昌は飛衛に弓を引く。そして飛衛も弓を引いたがお互いの弓が当たって落ちる。飛衛は紀昌に目標を持たせたほうが安全だと思い甘蝿老師を訪ねろと言う。紀昌は1ヶ月かけてやっと山に登りつき甘蝿老師に会い腕前を見てもらおうと了解も確認せずにすぐ腕前を見せる。(中略)その後、9年修行し下山するが紀昌は以前のようなふてぶてしい顔ではなくなっていた。そして何の表情もなく久々に飛衛に会ったところ『これぞ本当の名人だ』と喜んでくれる。また紀昌は人に頼まれても秘儀を見せなかった。その代わり夜中になると紀昌の家の近くでは弓の音がし盗賊が打ち落とされ鳥さえも飛ばなくなった。甘蝿老師と会ってから40年後に紀昌は亡くなったがある妙な話が広まっていた。それは彼が死ぬ12年前にある日知人の家に行ったら弓を見て弓は何かと尋ねたと言う。」短編小説で内容は分かりやすいがラストの解釈が難しい。無我の境地に至ってその道を極めるということなのか?弓を抜かなくなったら弓自体も忘れてしまい、それが最終目標であり達成できた、と言いたいのか?あまりにも非現実的だけれど、「一流」を目指すとは究極は無我の境地を目指すことなのか?結局は「一番」、「一流」ともに成し遂げることは難しいけれど、ただ一つ言えることは「一流」は永遠に答えが出ないもので常に求め続ける道なのかなあということ。自分の中で「一流」を目指したいもの。

2017/11/08 18:18

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