めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
「運根鈍」「鈍感力」
「運根鈍(うんこんどん)」という三字熟語がある。意味は「なにかに成功するためには、幸運(運)、根気(根)、鈍いくらいの粘り強さ(鈍)の3つが必要であるということ。」である。これはまさに真理をついており、この3つは横一列に並んでいるのではなく三角形のようなイメージが自分の中にはある。具体的には下記のような位置関係で、成功するために必要な「運」というのは「根気」「鈍いくらいの粘り強さ」があって初めてもたらせるものだと思うから。言い方を変えると「根気」+「鈍いぐらいの粘り強さ」=「運」と言った感じか。とはいえ、正直言って生まれもった「運」と言うべきものは悲しいかな、存在する。客観的に、経済的、健康、美貌、才能に恵まれた状態で生まれた人は最初から「運」がいいと言えるだろうし、逆の場合はいわゆる「不運」と言えるかもしれず、持って生まれてきた「運」というスタートは変えることが出来ない。でも、その後の生き方で「運」というのを「運んでくる」ことは出来ると信じている(信じたい)。さらに「運根鈍」の「鈍」に関して個人的には「鈍いぐらいの粘り強さ」のほかに「鈍感力」も付け加えたい。「鈍感力」は以前にもブログで紹介したけれど作家の故渡辺淳一氏が著した「鈍感力」がきっかけで流行した言葉。渡名氏は次のように述べている。「鈍感なのは素晴らしいことなんですよ。傷ついてもすぐに立ち直れるし、いろいろなことを言われてもすぐに忘れられる。私が言う『鈍感力』とは、どんな時もくよくよしないで、へこたれずに、物事を前向きに捉えていく力のことです。」と。「鈍感」≒ノロマで鈍くさいというイメージだけど、「鈍感」ではなく「鈍感力」と名付けるところはさすがは渡辺氏だなあと、改めて北海道が生んだ大作家に対して敬意を払っている。氏の言う「鈍感力」を身に付けると生きやすくなり、「鈍感力」≒「鈍いぐらいの粘り強さ」とつながる。何かに挑戦しようとすると周囲から必ず「無理!辞めておけば?」という有難い助言がある、その助言に耳を傾けながらも「鈍感力」で助言?をスルーし「根気」「鈍いぐらいの粘り強さ」で「運」を引き寄せることが可能になるか?本来ならば生まれもった「運」があれば一番だよなああ~と言いたくなるけれど物事をなしとげた人は必ず「運根鈍」だということも、さすがに長く生きていると実感している。地道に一歩一歩。
運
根鈍
2017/11/04 03:51
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