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小さな国語塾のつぶやき

真理は色褪せない

「歴史は、人の営みの積み重ねです。だから、いつの時代でも似たようなことをするわけで。」これはいつもお邪魔させていただいている「ひさぺー先生」の昨日のブログの一節。確かに・・・と思っていたところ今度はこれまた、いつもお邪魔させていただいている花ゆき先生のブログが目に飛び込んできた。「花ゆき」先生のブログ(10月24日記事)を読んだときに瞬間に鎌倉時代の作品「徒然草」(作者は吉田兼好)109段の「高名の木登り」が頭に浮かんだ。高名の木登りの現代語訳は次の通り。「名高い木登りという男が、人に指導して、高い木に登らせて梢を切らせる時、たいそう危なく見えるうちは何も言わず、木を下りる時軒の高さほどになって、『しくじるな。心しておりろ』と言葉をかけましたのを、『これくらいになれば、飛びおりても無事におりられよう。どうしてそのように言うのか』と申しました所、『その事でございます。目がくらくらするほど高く、枝が危ないうちは、自分自身の恐怖心がございますので、何も申しません。失敗は、安全な所になって、必ず起こる事でございます』と言う。身分の低い下賤な者の言う事ではあるが、聖人の戒めにかなっている。蹴鞠も、難しい所をうまく蹴り上げた後、余裕だと思ったら、必ず落ちるものだとか申すそうでございます。」花ゆき先生の師匠が徒然草の109段をご存知の上で意識して「お花」の指導用にアレンジしたのか、はたまた偶然にもご自身で気づかれたことをお弟子さんに伝えたのかは分からない。もしも後者だったとするならばひさぺー先生のおっしゃるように「いつの時代も似たようなことをする(思いつく)・・・」と言える。どちらにしても物事の本質というものは決して色褪せず、普遍なのだろうと思う。だからこそ、先人の教えに自分自身は敬意を払っており常に学ぼうとしている。むろん、すべてが正しいというわけではないけれど「あれ?これっておかしいよね」という批判、批評的視点を養うという訓練にもなっていると言える。

2017/10/25 11:58

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