めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
思い込み
人間ってつくづく自分にとって都合よく記憶を操作するのだなあと思う。むろんそうすることによって「生きやすく」なる、ある意味において自己防衛能力ではあるのだが。先週、平安時代や鎌倉時代の思想や時代背景について熱く熱く語った後に演習(平安時代の作品)を行い、今週は平家物語の演習「木曽殿の最期」を張り切って行った。ところが・・・某クラスで4人中2人は「楽勝!これ、先週習ったばっかりだよね」とスラスラ解いてパーフェクトだったのだが、残り2名はさんざん迷った挙句自分の感情を入れてしまい残念ながら半分近く×。「武士は名誉を重んじる」「鎌倉時代≒御恩と奉公≒主従関係」という知識を意識して駆使すれば決して間違わない問題だった。誤答として選んだ選択肢の内容はまさに彼らの性格、優しさを表しており、思わず苦笑い。「君が優しいのはよく分かっているけれど、この時代と今とは常識や考え方が違うからしっかりとその違いを覚えておくように」と強く強く念押しをした。また、漢字ワークの宿題をチェックしていたところ・・・・自己採点時に〇をつけているけれど実は間違いというものが続出。本人なりに一生懸命採点をしているのだけど、「合っている」と自信を持っているため正しい答えを見ているつもりで実は全く見ていないということ。これが最初から全く手も足も出ずに書けなかったという漢字ならば必死で正しい答えを写すのだろうが。例えば「教室を掃く」の読みを「ふく」(正しくは「はく」)、友人からのチュウコクを「注告」(正しくは「忠告」)、「アツい夏の一日」を「熱い夏の一日」(正しくは「暑い」)といった具合に本人なりに一生懸命考えており、深読みすれば意味が通じなくもない(苦笑)漢字を充てている。思わず「ああ、○○は教室掃除のときには雑巾であちこち拭くことが多いのかなあ。確かにアドヴァイスって誠意がこもっているというよりも上から目線の「注意」的な要素が多い!夏は高校野球などなど「熱い」闘いが繰り広げられるよなあ」などと想像すると笑える。同音異義語を自分で頭の体操として考えるという場面では最高だが、国語として解く場合は正しい知識で対応するよう今後も生徒たちにしつこく伝えようと思うエピソードだった。
2017/10/20 13:32
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