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小さな国語塾のつぶやき

古典を学ぶとは

昨日9月15日は元敬老の日。2002年に(平成14年)までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2003年(平成15年)からは9月の第三月曜日になった。今の若い子たちにとっては日付そのものよりも「敬老の日=9月の第三月曜日」のイメージが強いのだろうけれど、自分自身にとってはまだまだ9月15日のイメージが強い。それはともかくとして、中学・高校古文では「親孝行」についての話が数多く出てくる。例えば父娘が道中で虎に出くわしたところ、娘が「私は虎に食べられてもいいので、代わりに父を助けてほしい」と祈り天に祈りが通じたのか、虎は何もせずに黙って去っていったという話。これは子供が親を思う心が起こした奇跡で、似たような話が多い。むろん作り話だということは分かるけれど読んでいてほっこりと心が温まるのは自分だけか?また年配者の知恵によって難事を乗り越えるという話も数多く残っている。これらは儒教の影響が強いためだと思われるが、宗教云々は別として人間の生き方を示唆しており、古典を読むことによってそれを自然に学べるということは素晴らしいと思う。実は我々日本人は知らず知らず儒教から道徳的、倫理的な規範を授けられて社会生活を送っている。学生時代に先輩があんなに威張っていられたのも、会社では年功序列がいまだに幅を利かせているのも、親を老人ホームに入所させることに罪の意識を感じるのも、お仏壇に祭って祖先を供養するのも、元を糺せば儒教的倫理観に行き着く。むろんこういった思想の弊害(年功序列ゆえに能力がある人が活躍できないなど)もあり、徐々にそれらをなくそうという動きもあるけれど。話を戻すと「古典は古臭いし勉強しても仕方がない」という声を直に数多く聞かされたけれど「古典」を学ぶことは「生き方」を学ぶこと、しかも中学・高校程度の「古典」の場合は偏った思想とまではいかない、ちょうどいい具合の人間としてのあるべき姿を学べるのがいいなあと「敬老の日」を迎えるにあたって(今年は9月18日)ふと感じた。

2017/09/16 09:53

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