めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
文章の資質
作家、阿川弘之氏が「志賀直哉の生活と芸術」という文章の中で次のように書いている。「人のものを読んで、直哉は時々、『その場面をはっきり頭に浮かべないで書いてるね』と不服を言った。少々極端な例だが、例えば某流行作家の風俗小説で、男と女が、線路をへだてた向うのプラットフォームとこちらのプラットフォームに立ち、別れの言葉を交わしている。かなりの大声を出さなくてはお互い聞き取れない状況であるにもかかわらず、作者は平気で、二人に普通の会話をさせている。こういう垂れ流しのような叙述は、自分の場合として考えたら到底我慢できないし、やれないたちであった。」これをたまたま今日読んだときに、昨日のブログで紹介したエピソードを思い出した。というよりも先日のエピソードがあったからこそ、本来ならスルーするであろう、この文章が目に留まったといった方がいいかもしれない。確かに志賀直哉の作品は描写が鮮明で、文豪たち(和辻哲郎、芥川龍之介)が志賀直哉を高く評価する理由がそのあたりにあるのかもしれない。文章の癖、書き方、資質といったものは千差万別だからこそ面白い!どれがいいか悪いかという絶対的な評価は存在せず、究極は個人的な好みか?個人的には志賀直哉の文体、資質は大好きで大学時代に専門科目で志賀直哉について勉強し、その授業だけは真面目に受けていた。さて、昔と違い現代は玄人・素人関係なく誰でもがブログ、フェイスブック、ツイッターなどで文章を発信でき、それらを読むことが出来る素晴らしい時代。どの方の文章にも個々人の人柄、カラーが現れており面白く、一切プロフィールを明かさずに個人的な意見を書いてあるブログは文章のみから書き手の資質を想像することになり、それが最近の楽しみの一つになっている。このブログは書き手の職業(国語教室主催)は公表されている上で、皆は読むわけだけれど、単なるハンドルネームだけで書いた文章だとどんなふうに皆の想像力を書きたてるのかなあと色々と考えるのも楽しい!
2017/09/09 05:07
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