めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
生徒の言い分
「今の知識で書きうる限りのことを書きました。」と静かにつぶやいた某生徒。す、素晴らしすぎる・・・、と生徒の成長が嬉しかった。先のセリフは、先日意見文の推敲を終えて「完成!お疲れ様!」とこちらから声をかけたときの生徒のセリフ。さらにこの後に「自分は以前は全く意見文を書くことが出来なかったから周りを参考にしようと思って、周囲の作品を見たり聞いたりしたけれど到底意見文と言えるものはなくて全く参考にならなかったです。」「意見文は生徒投票になるのでどうしてもウケがいい物ばかりが選ばれ、自分の作品(きちんと意見を書いている、テーマが難しい)は皆には理解されないと思います・・・。」とポツリ。その後に個人的にそのことについて色々とお互いに話したのだが・・・。この時のエピソードには3点の真理が含まれると思う。①学んだり、参考にするならばきちんとした見本を探すことが大切②条件を完璧に満たす☞評価につながるとは限らない。決まった答えがなく、人間が評価する場合は[条件+運、魅力?!]といったものが評価にかかわってくるから。だからといって「型」を守らなくていいとはならず、最低限「意見文」としての体裁を整えたうえで、さらにプラスアルファの何かが必要となる。文学の世界のみならず、芸術・科学の世界において本人の死後に評価された作品や説というのが多く存在する。③勉強をすることによって自分、周囲を客観視できるようになる。評価されるために文章を書くわけではなく、文章を書く練習をすることによって「文章を書くスキルを身に付ける、磨く」「客観的視点を養う」という2点が重要で、それをきちんとクリアした生徒達は本当に成長したなあと嬉しかった。同時にちょっとしたことに気付き疑問を持ちつつも、空気を読めるからこそおそらく思ったことの半分、いやそれ以上をお腹の中にためているであろうタイプに対しては「色々と納得がいかない出来事が世の中には存在し色々とストレスがたまることもあるだろうけれど、君達のそのまっすぐさを生かせる場所が必ずあるよ~。」と心の中でエールを送った。まだまだ10数年しか生きていなくてもきちんとした考え方をする生徒達を目の当たりにすると本当に勉強になる今日この頃。
2017/08/22 15:17
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