めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
なぜ国語なのか?
「なぜ国語を教えるのか?」という問いは今までに数えきれないぐらいにされた質問。この質問には「教えるという仕事になぜ就いた?」以外に「なぜよりによって国語?英語や数学ではないの?マイナーだよね。」といった意味合いが含まれていることをひしひしと、頻繁に感じる。毎回とりあえず「国語が好きだから」と答えているが、よくよく考えると原点は「古文」にあると言っていいかもしれない。①現代文ではほとんど苦労しなかったけれど、中学生時代に古文だけは思い切り苦労し、それを克服した→実は古文には勉強法があるということを伝えたいと思うようになった。②日本の古典から伝わる思想や考え方が大好き→教えることのみならず「古文」の予習をすること自体が楽しい。③大学1年生の時に初めて塾で集団クラスを持った時に当時中学1年生だった男子学生が「先生、古文って面白いですね」と言ってくれた→国語を教える自信につながった。この3点が大きな理由かもしれない。①に関して言うなば古文の「む(ん)」をすべて「否定」だと勘違いしたため古文の本文がちんぷんかんぷんに。例えば日常生活で「いる(必要)?」と聞かれたときに「いらん(いらない)」、「してもいい?(許可)」に対して「あかん(だめ)」といったように関西独特の言い回しをそっくりそのまま古文にも当てはめていたというのが混乱を招く大きな要因となっていた。実は古文の「む、ん」は推量・意思なのだと途中で気づいてなんとか高校入試に間に合ってほっ。②については個人的に吉田兼好の徒然草、本居宣長の玉勝間、平家物語がお気に入り。例えば「玉勝間」にはこのような話(中三テキストより)がある。「人のただ一つの言葉や、ただ一つの行為によってその人全体の良さ、悪さを決めてしまうのは、中国の本によくあるが、これはまるで正しくないことだ・・・・・。」はっきりと決めつけない「あいまいさ」が日本人特有の気質と言っていいかもしれず、それが批判対象になることもあるけれど、個人的にはその「日本人らしさ」が好きだ。スペースの関係上、玉勝間の続きは割愛したけれどおもわず考えさせられる内容が続く。③については、緊張でドキドキで中3対象の授業がうまくいかずへこみかけていた自分に対して光を与えてくれた男子学生、今でも感謝している。以上が今日に至るきっかけ。読んでくださったことに感謝。
2017/08/15 15:55
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