めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
名前
先日、初めて「六月病」という言葉を知った。行きつけのお店の店員さんが「最近、雨が多いですよね・・・北海道は梅雨がないはずだけど雨が続く時ってありますよね。蝦夷梅雨というか・・・。そのためか毎日身体がだるくて大変です。この時期の身体の不調を六月病と言うそうですよ。」とのこと。確かに、雨が続くと気圧の関係で身体がむくみやすくなったり古傷が痛むというのはよく聞くことで、科学的にも証明されている。が、思わず店員さんと二人で「最近はなんにでも名前を付けますよね~。五月病の月は六月病。思春期の中学生には中二病などなど。次は七月病とかできるかも?」と話し、笑い合った。ちなみに五月病は、GWを過ぎたころから「会社や学校に行きたくない」と感じるなど憂鬱な気分になることを指し、六月病は仕事や学校のプレッシャーと梅雨時の天候不順で体調を崩し心も元気をなくしていくことで、六月病に関しては医学的には「適応障害」と呼ぶらしい。何はともあれ、物に対してはもちろんのこと、状態や状況に名前を付けること自体は個人的には賛成だ。なぜなら名前が付くことによって詳しく語らなくても一語で表現できる、さらには季節、時期限定の症状においては、とりあえず「自分は六月病に違いない。だからあともう少ししたら本調子に戻るだろう。」といった予測、希望的観測を立てやすいから。むろんいつまでも不調が続くならば医療機関を受診すべきだと思うが。「名前」というのは個々を区別する役割のみならず、意味が込められている場合が多いので便利で、だからこそ個々人は自分の名前に責任を感じ、責任を持たなくてはならない。平安時代には名前に重きを置いていたからこそ書物には名前を書かないことが多かったらしい。そのため、現代の中高生たちは「主語省略」の古文にさんざん悩まされているわけだ。それだけ大切な名前、名前負けしないよう、さらにはなんでも○○病だから・・と責任転嫁するということは避けつつ、上手に名前と付き合っていきたいものだ。
2017/06/28 01:54
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