めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
紛らわしい表現
勉強、特に国語という科目はいかに正確に文章を把握するかに尽きる。むろん本文すべて、一字一句正しく・・・とまでは言わないが、少なくとも選択問題で要注意だ。因果関係が逆だったり(矢印の向きが逆)、本文の一部しか言っていないなどの見分け方は授業でも取り上げているし、かなり以前にブログでも紹介したことがある。が、が、が、究極は文章が何を言いたいのかを自力で理解しなくては解けない。半数以上がひっかかり、幸いにして昨日の生徒は「これ、どれも正解に思える~~」と言いながらも全員正解した例を挙げてみる。「見ぬ世の人を友とする」は次のどれが正しいか?ア「会ったことのない昔の人と、書物を通して心を通わせること。」イ「会ったことのない国の人を書物で知り、友となること。」ウ「すでにこの世にいない昔の友を、書物を読んで思い出すこと。」、正解は本文の内容から考慮してアとなる。つまり「見ぬ世の人」が「いにしへの人(昔の人、故人)」という意味で使われているため、イは明らかにおかしい。また、イだと「気に入った外国書の著者へメールや手紙を書いたら奇跡的にお返事をもらえた、あるいは著者の講演会に行き、それがきっかけで友になる・・・。」ということ。ウは「自分の友」「思い出す」がおかしいので不正解。特にイに関しては具体的に説明すると皆大笑いして「それ、変~~」となるのだが、文章そのものはおかしくないため引っかかってしまう。つまり目の前の文章は文法的には正しいため違和感がなく、その文章はどういうことを主張しているのかと具体的にイメージをしないと間違ってしまう。選択問題は記号だから楽勝!とばかりにテキトーに勘に頼ることはくれぐれもせずに、きちんと具体的に何を目の前の文章が言っているのかを理解する訓練が必要だ。
2017/06/09 13:44
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