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小さな国語塾のつぶやき

ら抜き言葉

「ら抜き言葉」とは動詞を「~できる」という可能の意味を持つ形にするときに「られる」をつけるべきところ、「ら」を省いて「れる」だけをつけてしまった言葉。具体的には、動詞の可能形「食べられる」「出られる」「見られる」などが「食べれる」「出れる」「見れる」などになった表現。日本語の乱れとして取り上げられることが多く、先日のラジオトークの話題は「ら抜き言葉」で楽しく盛り上がり・・・その時にも言ったが個人的には「ら抜き言葉」に対して目くじらを立てる必要はないと思っている。というのも、例えば「先生はその料理を全部は食べられなかった」という文があった場合、「尊敬」なのか「可能」なのかを咄嗟に判断することはできず前後関係から見極める必要があり読み手にとって、ある意味負担であるから。最近浸透しつつある「ら抜き言葉」で表現するならば「先生はその料理を全部は食べれなかった」とするならば「可能」と分かる。ただ、表現としてはなんとなくぞんざいな感じがするのは否めない・・・。そうなると究極は「可能」を表現するには「れる、られる」よりも「~できる」を優先して使う方が無難か。「ら抜き言葉」を非難する人が世の中には沢山いるが、そもそも「言葉は生き物」で時代と共に変化していくということを認めることが大切だと思う。ちなみに「歩いている」「立ってる」「運んで」は元々は「歩きて」「立ちて」「運び」が音便変化したもので言葉が時代と共に変化した例の一つ。

2017/02/24 02:22

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