めむろ国語専門塾
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小さな国語塾のつぶやき
表現の自由
昨日の記事「国語の解き方」が、アメブロで反響が大きく、びっくりするやら嬉しいやら。これはひとえに同業者の方がリブログして下さったからだと感謝している。さて、かなりの独断で書いたのでブーイングの嵐?それはそれでOKと高をくくってたところ、逆に共感していただくことが多く嬉しい限り。正直言って国語ほど指導者によって主張する内容が違う科目はないなあとつくづく思う。むろん、どの先生の説が正しいかをジャッジするつもりはないし、生徒それぞれが自分に合ったやり方を実行すればいい。ただ、自分のポリシーとしては昨日書いたように「国語の問題を解く」=「論理的に」で、考え方としては数学的思考と言えるかもしれない。先週、某生徒が「先生、国語と英語って似てますよね?」と言ったが、思わず「は???確かに『語学』という点においては共通だけど、解き方の考え方としては数学的思考で、数学の方が似てるよ」と答えた。彼の顔には「?????」と書いてあったが知らん顔しておいた(苦笑)。でも、数学をはじめとして他の科目と明らかに違うところは「国語の表現には自由さがある」という点。だからこそ、人様が書いた文章を読んで問に答える時は客観的に考える必要があるわけだが。小学5年生のテキスト内に「すっかり舞い上がってしまった私」という表現はどんな様子か?と答えさせる問題があった。文脈から答えは「緊張している様子」なのだが、某生徒は辞書で調べて「なんだかおかしいなああ」と思いつつも「嬉しい様子」と答えて×。つまり、自分が作文やエッセイ、はては小説を書く時には一般的な表現から逸脱しても許されるという自由がある。だから国語は楽しい!と昔から感じており、今はそれが仕事になっている。先ほどの「すっかり舞い上がってしまった私」・・・は俵万智氏の「母と私と台所」のエッセイの一節である。
2017/01/15 12:42
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