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小さな国語塾のつぶやき

走馬燈のように

国語塾のブログをいくつか読んで頂くと分かるように、これを書いている本人は「個性的で時として辛辣な?ことを言う」タイプである。書いたものを読むだけならともかく、実際に面と向かって話すと相当怖いらしく…先日は友人に「この瞬間の叩きつけるような衝撃と底知れぬ笑い・・・私が死ぬる時に人生の走馬燈に必ず映るに違いないです。」とまで言わしめた(汗、汗)。一応、言い訳をしておくが「人格を否定するような」「相手を貶めるような」マイナスなことは基本的に発想として浮かばないし発言していないつもり。さて「走馬燈のように」という表現は、死ぬ間際に今までの人生の出来事が思い起こされるというような比喩として使われる。とはいえ、本当にそうなのかどうかを確かめようにも死んだ人に「死ぬ間際に走馬燈のように思い出が流れましたか?」と聞くわけにはいかないが。ただ、個人的には長年辛苦をなめ続け、それが報われるような出来事があった時に、今までの出来事が走馬燈のように頭を駆け巡るという経験は何度もあり「ああ、走馬燈のようだ・・・」と一人で感慨にふけっている。走馬燈とは影絵の回り灯篭のことでお盆の時期になるとよく見かけるもの、つまりあの世とこの世を結ぶ時期に使われる物なので「走馬燈のように」とは「死ぬ間際にうつる映像」と限定されるのだろうか?どなたか、その辺りのことを詳しい方、ぜひご教示願いたい。

2016/09/12 10:35

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